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『井筒俊彦―叡智の哲学』【感想|抜粋】
井筒俊彦―叡智の哲学鈴木大拙が世界に名の知れた仏教学者だとすれば、本書『井筒俊彦―叡智の哲学』(慶應義塾大学出版会)の井筒俊彦は何に当たるのだろう。イスラーム学者や哲学者だと評される事が常だが、そういったレッテルを貼って井筒を評するのは無理がある。人々が勝手につける肩書に井筒自身も居心地の悪さを覚える事もあったようだ。

「形而上学的言語学者」「密教思想的言語学者」、どのようにでも肩書を当てる事もできる程の知性と探究精神を持っていた彼を司馬遼太郎が「20人の天才らが1人になった人のようだ」と評するのは頷ける。そのような日本人だからこそ今も世界中の探究者を魅了し続けるのだろう。

しかし、そんな世界的な井筒に今まで評伝らしい評伝が存在しなかった事が不思議だった。僕が読み親しんでいる深層心理学者カール・グスタフ・ユング宗教哲学者ルドルフ・オットーユダヤ教哲学者マルティン・ブーバー仏教学者鈴木大拙ユダヤ教神秘主義学者ゲルショム・ショーレムなどの井筒がエラノス会議で肩を並べた人物らには評伝や自伝が少なからずあったからだ。

評伝が人の価値を決める訳ではない。だが評伝の重要さは別にある。評伝によって新たな読者が井筒の存在に気づきその功績や学びを深くしてゆく可能性があるからだ。本著者、若松英輔氏は井筒著作を現存している物ほぼ全て読み込んでいる。井筒夫人、豊子氏の協力もあるのだという。そのような著者による「評伝 井筒俊彦」ともいえる画期的な本書。副題を「叡智の哲学」と名付けたは著者の井筒に対する思い入れの証なのだろう。叡智の哲学者の人物像と思想に迫る素晴らしい出来栄えに感嘆と感動をおぼえた。

少しだけ抜粋してみようと思います。
 「神秘家」と井筒が書く。そこには深遠なる思想家と無私の実践家が併存している。ソクラテス以前の哲学者の多くは、「いづれも溌刺たる時代精神をその一心に凝集する活動家であり、思惟することが直ちに行動するを意味するごとき情熱的実践家」だった。
・・中略・・
 すなわち「彼等はいずれも哲学者である以前に神秘家であった」とある通り、神秘家とは、人間的個性すなわち魂の特性よりも、霊的陶冶を意味する表現である。神秘家は神秘説を唱える口巧者、口舌の徒である神秘「主義者」ではない。神秘家は語る前に実践する。彼等の悲願は、主義を唱えるところにあるのではない。万人の救済にある。救いというのは比喩ではない。ギリシア哲学における究極の目的は、理性的知解ではなく、魂の救済だった。
――P.26
若松氏による井筒俊彦が神秘家をどのように論じていたかの解説。僕も「神秘家」と云えども活動を伴わない神秘家を好まない傾向があります。世間を俗界と嫌がり篭って瞑想に明け暮れたり、僧院に隠遁して生活を捨てるような行動。この行動も探究ではあるのだけれど、まず自分だけしか考えない一人のだけの探究になってしまいます。俗界にあっても探究ができる実践的な神秘家を僕も「神秘家」だと思いたい。哲学を楽しむだけなのは講談師にでも出来る事ですから。

 井筒は大学での哲学教育を経ていない。むしろ、そのことが彼の精神を決定したのかもしれない。もちろん、彼にも師と呼ぶべき存在はいる。「生涯ただひとりのわが師」と彼が書くのは西脇順三郎である。
・・中略・・
 今では「羊のようにおとなしくなってしまった」が、大学に入った頃は「実に生意気」で、「たいていの先生を軽蔑していた」(「西脇先生と言語学と私」)と本人が記しているのだから、そうなのだろう。安岡章太郎との対談でも、三田では「ずいぶん暴れ」たと言っている。また、池田弥三郎によると英語の授業では、教師の誤りを一覧にして渡し、地理の答案を英語で書いたりしていたという。
――P.35
戦後日本の大学教育は「肩書取り、平凡な会社員・公務員の製造工場」だと揶揄されているから井筒のような気骨ある生意気な学生はほとんどいないかもしれない。学生はライブハウスやクラブで遊び呆けているかもしれないしバイトに明け暮れて恋愛にウツツを抜かしているかもしれない。

先生に学術的に喧嘩を売るというヤンチャさを誰か持っているのだろうか。それが若気の至りでもいいから、権威に喧嘩を売る、批判的に先生を指摘する。僕も大学講師の著者にブログ内で指摘を行った過去があります。今でもその指摘は的を射ていると思っています。先生に従うのは最も安易で簡単な道だと思っている。なんかオカシイと思ったら先生に対しても楯突かない従順な生徒は情けない。

 『空海の風景』を書いた作家と、真言密教における言語哲学を論じた哲学者の対話は、空海の道程をめぐって興味深い展開を見せる。空海は新プラトン主義者プロティノスの哲学を知っていた、と井筒が言えば、空海はキリスト教を知っていた可能性があると司馬が応じ、井筒はそれに強く同意する。「空海の真言密教とプラトニズムとのあいだには思想的構造上のメトニミィ関係が成立するだけじゃなくて、実際に歴史的にギリシア思想の影響もあるんじゃないかと考えている」と井筒は発言している。
・・中略・・
 『プロティノス全集』の刊行に際して井筒は「『開かれた精神』の思想家」と題した推薦文を寄せている。プロティノスは、新プラトン主義者と呼ばれるが、何もプラトン哲学の枠に閉じこもっていたのではない。「特にインド哲学にたいしては、情熱的関心を抱いていた。彼の思索の基底をなす根源的主体性の自覚は明らかにヨーガ的である。大乗仏教も無縁ではなかった。絢爛と交錯する光りの海として彼が描き出す万物相互滲透の存在ヴィジョンは海印三昧に現れる蓮華蔵世界海を想起させ、華厳哲学の事事無礙法界を憶わせる」と井筒は書いている。
――P.402
高校時代頃から宗教的な雑学を知るのが好きで「真言密教」の独特な雰囲気を好んでいたのでスピリチュアリズムに傾斜してからも空海や密教への親しみを持ち続けていた。

なのでキリスト教神秘主義者の装いを持つ霊能者アテシュリス博士〔ダスカロス〕を知ってからも日本の真言密教創始者・空海の偉大さを感じ続けている。安っぽいスピリチュアル思想家の『神の使者』だっかの著作には、イエス・キリストの思想が全てで根源だと語られている事があるが井筒博士の著作を読んでいると「それはおかしな話しだ」と看破してしまう基礎知識がつく。

プロティノスが全てではなくインドのヨーガ派などの哲学も彼の思想を形作っていると見たほうが賢明だと思うし、そういった神秘哲学〔密教〕が東アジアの果て、日本にも息づいている事が素晴らしい伝播ではないかと思う。
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2012.07.01 Sunday | Category[2]スピリチュアル:探究書 | comments(0)

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