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『猿の惑星:創世記』【感想】
猿の惑星:創世記(ジェネシス) 2枚組ブルーレイ&DVD&デジタルコピー(ブルーレイケース)〔初回生産限定〕『猿の惑星』は子供の頃に叔父に観せてもらって『スターウォーズ』と共に印象・記憶に残っていた映画のひとつだ。最近の作品『PLANET OF THE APES/猿の惑星』がオマージュかリメイクかは知らないがティム・ロスが演じたチンパンジーの印象も強烈だった。

そして『猿の惑星:創世記』

なぜ人類が住む惑星が類人猿に支配され人類が奴隷や家畜のようになってしまったのか、その始まりが描かれた作品という位置づけらしい。

映画批評する人が「CGがスゴい」と批評することが定番になっているが、そういった批評はCG職人にとっては褒め言葉になっていない。特にフォトリアル系の3DCG職人にしたら「これCGなの?」と思われる方が嬉しいので今更CGがどうだこうだという評価はどうだろうか。創世記のCGはWETAデジタルが担当しただけにクオリティーは確かとはいえCGのデキと映画のデキとはあまり関係がない。余談になるがCG情報を日本語で読めるのは『CGWORLD』という月刊誌が定番だ。映画やゲーム、コマーシャルCG最前線などが特集されている。

ここからはストーリー明かしになってしまうので映画を楽しみにして趣味で観ている人には読んでもらいたくない。映画のストーリーを知る事はその映画に対する印象を著しく損なう。そんな事はないと言い張る人もいるかもしれないが意識への刷り込みというものは恐ろしいもので知らずのうちに影響を受けている。

さて、この映画をシリアスなSFアクションジャンルとして批評すれば「駄作」と言える。ライトなSFアクション作品として批評すれば「並・良作」と言えるだろう。映画の評価が別れるのは批評家がどの立ち位置で映画批評をしているかだといえる。もし友人が駄作だと言っても、どのように映画を捉えているのかで印象は異なる。

私の場合は導入部のストーリー展開からシリアスなヒューマンドラマの印象を受けたので後半部での類人猿たちの暴動がどうも幼稚に感じてしまった。賢明なシーザーも所詮は人間と同じかという印象を与え、いつものハリウッドお馴染みの流れになって楽しくなくなってしまったのだ。ゴリラが暴れチンパンジーが指図する。「ハリウッドは、こうしちゃうんだよな」という印象が正直な気持ちだった。

広く知られていると思うがゴリラはチンパンジーよりもおとなしく雑食で草食な事も知られている。チンパンジーはというと猿を捕まえて食べたり仲間殺しと共食いをする肉食動物だ。要は人間にもっとも近い種なのだ。志村けんが溺愛しているチンパンジーのパンも20歳をすぎて成獣ともなれば自我も芽生え人間を馬鹿にし始め、時には襲うことになる。

映画の話に戻ろう。認知症予防薬の実験で新薬を投与された母親から産まれた知能指数が飛躍的に上昇する主人公シーザー(チンパンジー)。そうなる事を知らずにシーザーを偶然自宅で育てる事になった新薬研究者の主人公ウィル(人間)。ウィルと痴呆症のウィルの父親に実の子のように育てられるシーザーは、成長していくうちに自我を芽生えさせていく。実際チンパンジーも成獣ともなると個性と自我を持つ。シーザーはウィルから習った手話を使いウィルと会話を行えるようにもなる。

そんなシーザーだが、ある切っ掛けによって自己の存在に疑問が浮かび気づき始める。その端緒は、ウィルと散歩中にサンフランシスコ(?)に残る散策道として整備された大森林の中で出会った“犬を連れた家族”だったと思う。そこでシーザーはウィルに手話で問う「僕はペットなのか?」と。ウィルは「そうじゃない」と否定するが、シーザーは自らの存在理由を問い始める。ここは発達心理がわかりやすく描かれていると思う部分だ。

「私は誰なのか?」
この問いを今日本の20代を越えた若者が真剣に問う事はないだろう。もしかしたら40代を越えたいい歳をした大人の中にも、こうした問いを真剣に問う人間を見つける事は難しいかもしれない。私自身も20代の頃はチンパンジーとたいして変わらない思考で生きていたと思う。メス(女の子)のカラダを追いかけ、楽しい事に夢中でエサに飛びつく動物的人間という発達未熟な存在として。

この映画の前半部はシーザーというチンパンジーを私達人間に見たてて、哲学的な「存在論」をそれとなく気づかせてくれる。若い意識段階にいる人にとっては良質なストーリーだった。だが後半の展開(類人猿たちの革命・逃走劇)で、前半部の良質なストーリーを台無しにしてしまっているのだ。

その台無しの部分は、権力への反抗を描いた作品になってしまっている点だ。『猿の惑星』になるスタート地点なので、それが無ければ始まらない事もわかるが、どうも賢明でなく前時代的なものなのだ

シーザーは革命類人猿のボスとして動物園にいる類人猿仲間の奪還、そして逃走劇となる。そこでは人間との衝突が描かれ仲間のゴリラの死を見舞うシーンも含まれている。ハリウッドには溢れているストーリー展開で終始する。

恐らくだが、この映画を興奮し喜んで観る年代は中学・高校くらいの反抗期世代の意識段階を持った人達なのだろうと思う。非行に走った暴走族が親や社会に反抗するように、左派活動家たちが国家に反抗するように、そういう意識段階の人が見ると血が騒いでくる作品となっているのだろう。

ただ、発達心理学のような道徳やその他のスピリチュアルな面を意識すると、あまり賢明ではない作品、ストーリー展開という批評になってしまった。もっと良質な意識を気づかせてくれる作品を期待する私が馬鹿なのかもしれない。
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2012.03.18 Sunday | Category[2]スピリチュアル:エンタメスピ | comments(0)

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