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国民をたぶらかす〈魔物〉による毒 【闇に対する防衛術】シリーズ
魔に対する防衛術
前回の続きです≫
法華経の省察―行動の扉をひらく今現在の日本人の多くは〈三つの毒〉に冒されてしまっているように感じます。三つの毒とは、言葉は悪いですが「食べたい・ヤリたい・ラクしたい」。個人差は有るものの日本国民として感じる事ですが、現在の日本の生活環境は、この三つは十分こと足りている水準だと感じます。

しかし国内には「足ることを知らず、さらに求める」人達が大勢います。

こういった人達のことを、足ることを知らない〈餓鬼〉といいます。そうした〈餓鬼〉の道は「我がままで義務より権利を主張する」という傾向から始まります。一例から話を拡大して説明してみましょう。

昔の日本では《公の場所》では〈三つの毒を戒めるような道徳〉がありました。例えば、通勤電車内で「女性が飲み食いしている姿」を当たり前のように見かけるようになりましたが、一昔前までは〈慎みが無く躾がなっていない人〉と見られていたと思います。これは日本社会に根づいている大変にスピリチュアルで善い道徳観だったのです。

「食べるという行為」は〈本能:動物的欲〉を現しています。ですから、数十分の間の電車内で我慢できずに飲み食いする人は〈欲を抑えることができない人〉というように見られていました。大げさに表現しましょう。
電車内でマスターベーション(またはセックス)をし始める人がいたら、あなたはどう感じますか?
当たり前の行為でしょうか。犬や猫は構わず行いますね。
「食べたい」と「ヤリたい」は共に〈動物欲〉を現しています。

霊的人間と動物的人間

古き日本では公衆の面前で〈欲を慎むこと〉を教えました。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)他人の前では、できるだけ食べる姿を見せない。見せる相手は家族や心を許した親身な相手だけという風に公私を分けていました。古き日本社会では神道と仏教のスピリチュアルな教えを一般大衆までもが無意識に取り入れていた大変に誠実で世界に誇れる道徳観を持っていました。

現在の日本では「自由と個人の権利」ばかりを主張する〈放逸が過ぎる人達〉が増えているのが目につきます。放逸が過ぎる人達とは「勝手気ままな振る舞い、生活態度に節度がない人達」のことです。こうした欲を抑えられない〈餓鬼〉に対しては厳しい態度で望むことが肝要です。甘やかされて育ってしまった〈餓鬼〉には〈憤怒の菩薩〉が必要となります。怒りの表情をした菩薩《不動明王》です。

今の日本に必要なのは〈慈悲の菩薩〉よりも《憤怒の菩薩》です。
荒々しそうな特徴も、慈悲の化身、観世音菩薩の現れだ。《中略》素敵でやさしい外見の菩薩ばかりを探し求めていたら、かれを見逃してしまうかもしれない。子供、大人、男、女、芸術家、政治家、音楽家、判事、庭師、警察官、法師、大会社の社長、ギャング(!)といったさまざまな姿で現われる慈悲の菩薩をそれと見分けるためには 深く観ることができなくてはならない。
『法華経の省察』より
〈餓鬼〉は《不動明王》を嫌がり、この世から消そうとします。

国民を本気で叱ってくれる優しさを持つような
「不動明王を背後に持ち
 国を心配する人物は思い当たりますか?」

私は甘い言葉を使って国民を騙す魔物を背後に持つ人を信用しません。
そういった〈魔物〉の話は次回書こうと思います。
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スピリチュアルな想いを形に
2011.10.02 Sunday | Category[2]スピリチュアル:闇のスピに対する防衛術 | comments(0)

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2017.08.15 Tuesday | Category- | -

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