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スピリチュアルな想いを形に
2019.09.01 Sunday | Category- | -

ダライ・ラマ 科学への旅―原子の中の宇宙

序章 p.14

 本書は、精神性の探究(私がいちばんよく知っている例を挙げれば仏教です)と科学とを統一する試みではありません。仏教と科学にどのような一致点や相違があり得るか、学問的に研究しようというのでもありません。それは専門の研究者たちにお任せします。そうではなくて、私たちの身のまわりの世界をより全体観的[ホーリスティック]に、統合的に理解する方法を見つけていくために、科学と仏教という人類の二つの重要な専門分野を検討する試みです。道理に裏打ちされた根拠を見いだしながら、目に見える世界と見えない世界を深く追究しようというわけです。精神性の探究と科学は、真理を求めるという同じ偉大な目標に向かっているのだと私は確信しています。それぞれに異なっていながらも、相互に補完し合う二つの研究方法なのです。この点、お互いに学ぶべきことは多いでしょう。そして共に、人類の知識と知恵の地平を押し広げてくれるはずです。何よりも、この二つの分野の対話を通じて、科学もそして精神性の探究という分野も、人類のニーズに応え、幸福の増進にいっそう貢献できるように発展してほしいと私は願っています。さらに、私自身の知の旅路を語ることで、世界中の何百万人もの同じ仏教徒の仲間たちに次のことを強調しておきたいのです―科学を真剣に受け止め、科学の世界観のなかにおける根本的な発見の数々を受け容れる必要があるということです。
ダライ・ラマ法王ほど〈健全な懐疑心〉を易しく教えてくれる人はいません。不健全な[スピリチュアル・超常現象]懐疑論者:ネガティブ・スケプティックは国内外に腐るほどいますが、それらの人たちにも読んでもらいたいくらいにバランス感覚がすごいよいです(当たり前ですね)。読ませたい部分がありすぎて今回の抜粋紹介はひとまず「序章」だけにしておきます。アンダーラインと色は私が特に強調したい部分です。

第一章 これまで考えてきたこと p21 - 24

 私にとって科学は何よりもまず、経験主義的な学問です。それは物理現象や生物の世界の本質を理解するためのひじょうに強力な手段となるものです。私たちが経験するこの世界、そしてその背景にある自然の法則について、驚くほど詳細な知識を提供してくれます。科学とは基本的に、実験にもとづくデータからそうした知識を引き出す探究の一方法だといえます。科学はとても具体的な方法に従って探究を進めていきます。測定、数量化、再現可能な実験によって複数の目による検証を行うことなどが求められます。少なくとも現状の方法論のなかでは、これらが科学的手法の特徴です。この知的モデルでは、人間存在に欠かせない多くの側面が科学的探究の範囲外に置かれています価値観、創造性、精神性、さらにはより深い形而上学的な問いなどです
 このように人間の生や知識のなかには、科学の領域に属さない分野があります。それにもかかわらず、世界に対する科学的な見方こそ、あらゆる知識や知り得べきことがらの基準となるべきだと、多くの人が当たり前のように考えているのではないでしょうか。これは科学的唯物主義というべき考え方です。こうした考えをはっきり打ち出している学派があるかどうか私は知りませんが、検証もされずに、一般的に前提とされているように思えます。この見方は客観の世界を信奉するものです。観察者が持つ偶発性を考慮に入れない世界です。実験によって分析されるデータは、分析を行う科学者の先入観や知力、経験などに左右されないことを想定しています。
 この見方の根底には、究極的には物質だけが真の存在だという前提があります。物理学で説明でき、物理的法則に支配された物質こそすべてだと。この見方に従えば、心理学は生物学で説明することができ、生物学は化学で、化学は物理学で説明できることになります。私の目下の関心はこうした単純な要素に分解していく還元主義的な立場に反論することではありません(個人的にはこの立場に賛同はしませんが)。私はむしろ次のような極めて重要な点に注目してもらいたいのです――それは、右に述べたような唯物主義的な考え方は科学的知識だとはいえないことです。一つの哲学的な立場を代弁するものにすぎません。形而上学的な立場とさえいえるでしょう。現実のあらゆる側面が物質や物質を構成するさまざまな微粒子に還元できるという見方は、私にとっては、知的造物主が世界を創造して動かしているという見方に劣らず形而上学的なものに思えるのです。
 極端な科学的唯物主義の大きな問題点のひとつは、視野が狭くなるということです。そしてその結果として虚無主義に陥る危険があるということです。虚無主義、唯物主義、還元主義は哲学的視点からすれば――特に人間的な観点からして――問題だといわざるを得ません。なぜなら私たち自身に対する見方を貧しいものにしてしまうかもしれないからです。例えば、私たちが自分は生物学的な偶然の産物だと思うか、意識や道徳的な能力に恵まれた大切な存在だと思うかで、自分に対する感じ方や他入の扱い方は大きく左右されるのです。科学的唯物主義の見方によれば、これぞ人間的だというべき多くの側面が――芸術、倫理、精神性、善良さ、美、そして何よりも意識などが――神経細胞の活発な化学反応に還元されてしまうか、あるいは純粋に想像力の産物にすぎないと見られてしまうのです。つまり、人間は生物学的な機械以上の何ものでもないとされる危険があります。遺伝子の無作為な組み合わせによる全く偶然の産物、生殖という生物学的な要請のほかにどんな目的も持たないものになってしまうのです。
 このような世界観のなかでは、人生の意味や善悪の別といった問題とどう取り組むことができるのか、疑問を持たずにいられません。科学の経験的なデータそのものが問題なのではありません。問題なのは、こうしたデータだけが総合的な世界観を構築するための正当な根拠だという主張であり、科学的データのみが世界の諸問題に応えるための適切な手段だという意見なのです。人間存在や現実というものは、現代の科学ではとても語り尽くせるようなものではないのです
 同じように、精神性の探究という営みも、科学的な発見や洞察を取り入れていくことが必要です。精神世界に生きる実践者として私たちが科学的な発見を無視するとすれば、私たちの実践も内容が乏しいものになってしまいます。宗教的な権威以外を認めない原理主義に陥る危険があるからです。仏教徒の仲間たちに科学の勉強をお勧めするのはこのためです。科学がもたらす洞察を仏教の世界観に統合できるようにするためなのです。
ダライ・ラマ法王は、ケン・ウィルバーのような少しマニアックな理論インテグラル理論]を語ることなくバランスの取れた考え方を語ります。これぞ〈健全な懐疑心〉です。ダライ・ラマ法王は、常にこういった立場で批判的思考[クリティカル・シンキング]「科学」と「精神世界」に向けて行っているように感じます。
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2011.06.20 Monday | Category[2]スピリチュアル:インド チベット | comments(0)

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