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スピリチュアル本は数限りなくあります。素晴らしい本を全て紹介し切れませんが一部をこちらで紹介します。こだわりは「百害あって一利なし」。読書が嫌いな方は以下のものを読んでもらえればスピは十分だと思います。

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〈真理の小道〉を歩むための本
真理の小道というのは多数決のような大衆文化や流行ではない真理の探究者たちが歩むべき〈小さな細い道〉という意味です。この小道を選択できるようにお薦め本を紹介しながら記事を書いています。

日本では神道〉〈仏教〉〈キリスト教この三つの信仰を持っている人が多いと思います。なのでブログでのお薦め本もその事を配慮して選んできました。葉室頼明 宮司クンドゥン(ダライラマ14世)ダスカロスなど。

最近は若い人になると「無信仰?」かもしれませんが、密かにでも「根」を持つようにすると良いと思います。両親が無信仰でも祖父母が信仰していたものを調べ復活させるのも良いと思います。大体は〈神道〉か〈仏教〉に集約されると思いまが、沖縄や北海道では、それぞれの〈精霊信仰〉かもしれません。

さて、一番身近なのは〈仏教〉だと思います。なので、仏教の中に多く含まれている霊的な面を分かりやすく理解できるものは何かと思って先日新たに紹介したのが『Happiness幸福の探求』でした。

著者のマチウ・リカール氏はチベット仏教(ブータンにある)僧院で約30年以上の修行をしてきた西洋人仏教僧です(ダライラマ法王[クンドゥン]のフランス語通訳などもしています。「心と生命会議」などにも出席している欧米では著名な人)。

これから紹介する本の著者でもあるソギャル・リンポチェ(右),マチウ・リカール氏(左),ダライラマ(中央)が一堂に会した様子。

上記のリカール氏の著書は無信仰の現代人に向けて書かれたものだと感じました。仏教用語を極力使っていないので理解しやすいですし、霊的小道を歩きし始めた人たちには打ってつけだと思いました。勿論、私自身も何度も読んでいます(今の所、五回以上)。リカール氏はチベット仏教に改宗した訳ですがクンドゥンが仰るには改宗しなくても、その教えや修行方法を学び実践する事が大切なので、そういう気持ちで受け入れてもらいたいと思います。
他の記事でも紹介していますが、リカール氏がチベット仏教を紹介した動画があります。実際にトゥプテン・チョーリン僧院を紹介したり、瞑想についての見解をインタビュアーに話している様子などです。三つに分割されていますが、これは観ておいて損はありません。是非ご覧下さい。トゥルシック・リンポチェ(ダライラマ14世に教えを授けた師の一人)も映されています。

 ・最果ての光―心の旅 Part.1
 ・最果ての光―心の旅 Part.2
 ・最果ての光―心の旅 Part.3

永平寺 「104歳の禅師」・「修行の四季」 [DVD]禅 ZEN [DVD] 私自身は〈禅仏教:道元禅師〉を「根」としていますが、禅が至高で絶対であるという様な禅原理主義に陥らない様にチベット仏教(密教),真言密教などの教えも併せて参考としています。

「密教には全てが含まれている」と良く言われています――私も良く言います――が、その話は本当です。なので、密教を知ると、世界の宗教や神秘主義の教えや修行が、密教のどの部分に当たるのか把握することができます。禅だけでなくユダヤ神秘主義(カバラー)イスラーム神秘主義(スーフィズム)などとも繋がります。
【座禅関連記事】
 ・ビギナーのための〈座禅〉のすすめ

ただ、ユダヤ教やイスラームの信仰や修行体系は私たち日本人では環境を整えることができません。ですから、仏教,神道,キリスト教の話を主にしています。

『Happiness幸福の探求』を読み終えた人には、ソギャル・リンポチェ師『チベットの生と死の書』をお薦めしたいと思います。世界の神秘思想,スピリチュアル,宗教の共通性,協和関係を心の中で養うためにビギナーからベテランまでの方たちに最良の本だと思います。

この本の事は先日も記事の中でサラッと画像のみでお薦めしました。この本の良い所は仏教以外の宗教を批判しない」、すべての哲学と科学、すべての宗教の修行体系は共通しているという事を詳しく紹介しつつ、チベット密教に伝わる数々の修行方法を事細かに書いている所です。約600頁を越えるボリュームの本なので何度も確かめるために読み直しは必要になると思います。三つほど紹介してみたいと思います。

「死という鏡」より
現代西洋社会は、死についての真の理解、死と死後に起こることについての真の理解を失っていた。
《中略》
死について語ることさえ忌み嫌われ、人々は死を口にすることが死を呼び寄せることになると思っている。
  その一方で、愚かしい浅薄(せんぱく)な陽気さを持って死に対する人々がいる。「死はすべてをうまく運んでくれる、何も心配することはない、なぜだか理由はわからないが……」と。そういう人々のことを考えるたびに、わたしは或るチベット僧の言葉を思い出す。
「人はしばしば死に対して軽率になるという間違いを犯す。『ああ、そう、死は誰にでも起こる。大したことじゃない。自然なことだ。わたしは大丈夫』と考える。これは素晴らしい理論だ。ただしその人が死に直面した途端に役に立たなくなるが」
  これらふたつの死に対する態度。ひとつは、死を何かそこから慌てて逃げ出さないといけないものと考える。もうひとつは、放っておけば死が勝手にうまくやってくれると考える。ともに死の真の意味についての理解からいかに遠くにあることか!

p.23-24
コメント:霊的な本を読んでいる人でも後者の方に傾く人がいるんじゃないでしょうか。「死はすべてをうまく運んでくれる…」スピリチュアルな本や哲学を読んでいれば幸せになれるし、死も恐れることなく生きることができる、と。でも、そんな容易なものではないと思います。簡単なものではない。

ヨガナンダ師 僕らに出来ることがあるとすれば…「瞑想」「坐禅」なんです。そして「おまけ」に教えを読むこと。「瞑想」「坐禅」は、「己を救う」行だと思います。ヴェーダーンタ哲学や禅語録を読んだだけでは、本当の死の瞬間に己を救うことすら出来ず混沌とした死の意識を統合させることはできないのだと思います。

人の心は水と同じで、下へ下へと流れて行きます。山頂の清浄な水も下流へと流れ〈俗〉なる教えとなってしまいます。もし、たやすい修行があるとすれば、人類すべてがインスタントに聖者になることでしょう

人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集「今を精一杯に生きること」は人生のなかで与えられる「基礎修行」です。このようなことは誰にでも生まれた瞬間に与えられます。ヨーガ行者のヨガナンダ師もこのような欺瞞について語っていますから、皆さんも気をつけてください。心は簡単に元に戻ろうとします。なので、心の訓練である瞑想や座禅があるのです。

人の心は下へ下へと流れてゆきます。
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「平和の使者たち」より
医者になるための訓練が何年もの学習と実習を必要とすることは認めておきながら、精神の道を歩むためには、あわよくば加護を得て、弟子入りし、ときには師にも会ってみるという、その程度のことで事足れりとする。どうしてそんなことがあるだろう。

「第二十二章 平和の使者たち」p.576
コメント:スピリチュアルの道を歩むために、インドやヒマラヤまで出掛けて行っては、あわよくば覚りのエネルギーを得て弟子入りし、時にはマスターにも会ってみるという、その程度のことで十分であるとしている人たちがいる。どうしてそんなことがあるでしょうか。

「臨死体験――天国への階段?」より
  臨死体験は死のバルドの溶解のプロセスの各段階と同じものであると主張する者もいる。しかし臨死体験をバルドの記述と直接結びつけるのも早急であろう。なぜなら臨死体験は文字通り死に臨んだにすぎないからだ。師のディンゴ・キェンチェ・リンポチェに臨死体験の本質について説明を求めると、意識が単に死んだ人間の肉体を離れ、一時さまざまな世界を彷徨(さまよ)ったにすぎないなら、その現象は現世の自然なバルドに属していると解釈するのが正しいという意見だった。
  ディンゴ・キェンチェ・リンポチェは、臨死体験は現世の自然なバルドに含まれる臨終体験であると示唆している。バルドの入口に立ったものの、そこに足を踏み入れることなく戻ってきた人々とも呼べるだろう。いかなる体験を経たにせよ、その体験は現世の自然なバルドのなかにとどまっているのだ。臨死体験者の光の体験は、根源の光明の顕れに似通っているのだろうか? しかしそれは巨大な太陽が昇る前に、闇にさしこむ曙光を目撃するようなものではないだろうか?

※ ディンゴ・キェンチェ・リンポチェ(Dilgo Khyentse Rinpoche)は、チベット仏教の高僧の一人。ダライ・ラマ14世の教師も務めたという学識のある師だそうで、リカール氏も師から教えを授かっていたそうです。著書の中でも言葉が何度か引用されています。
「臨死体験――天国への階段?」p.529
NHKスペシャル チベット死者の書 [DVD]
コメント:「現世のバルド」と「死のバルド」というものがある。 明晰夢や光明体験,臨死体験などは、すべてが「現世のバルド」に属している体験に過ぎないので、「死のバルド」と同定するのは間違いだと仰っている。この考えは広く世界の賢者や神秘家も同様に言っている。

ゴースト ~天国からのささやき シーズン1 Vol.1 [DVD]本山博先生も、これと同じようなことを話している。「臨死体験」は予行練習のようなものかもしれない。強制的に生き方の指針を教えられるものかもしれない。『ゴースト―天国からのささやき』では「光明」が死者(幽霊になった人)目前に顕れるのが描かれている。臨死体験なども、これに似た光明を見た後、それより先に進まずに帰ってきたものじゃないかと、云うことです。

神秘と詩の思想家メヴラーナ―トルコ・イスラームの心と愛このような感じです。ソギャル・リンポチェ師は、とても硬派で豊かな教えを書くのが上手いと思います。現代人向けに書かれています。それだけでなく私が紹介もしているし、ヒーラーのダスカロス『エソテリック・プラクティス』のなかで引用しているイスラームの神秘詩人のルーミーの言葉なども引用したり、臨死体験研究者たちの言葉も引用したりします。

クンドゥンは、こう仰ります。
仏法の基本的な教えの全体を理解するよう努めることが必要である。ダルマ (法) の本質は実践である。食事の用意ができたなら、それは食べなくてはならない。ダルマ (法) の目的は、自分の心を制御し鍛錬することにある。教えられた内容は、自分の心といつも照らし合わせる必要がある。教えと、それを学ぶ者の心の状態に隔たりがあってはならない。心の悩みは、何かをきっかけに、自然に湧き上がってくるからだ。

「言葉を越えたカーラチャクラ灌頂の儀式」より
瞑想やヨーガなどの実践は欠かさずに行い、ジャングルのような心の内面を整える必要があります。過去に書いた記事なども参考になるかもしれません。

【瞑想参考記事】
<瞑想>と<脳波>最新研究成果
呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想
心ひとつで人生は変えられる

今を精一杯に生きれるようになったら
感謝して生きれるようになってきたら
次に入るのは実践の道です。

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チベットを愛する人たちへ

今秋に「聖地チベット展」が上野の森美術館であります。しかし、家主(ダライラマ)の居ないチベット仏教の物を中国政府は金づるとして利用しています。後援が「中国国家文物局、中国大使館」です。忘れずにお願いします。ダライラマ法王チベット亡命政府やチベット人に対しての援助などの流れはありません。すべてが中国政府への収益となります。
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スピリチュアルな想いを形に
2009.08.30 Sunday | Category[2]スピリチュアル:ブッダ的なもの | comments(2)

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2017.10.22 Sunday | Category- | -

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管理者の承認待ちコメントです。
| -さん | 2009/08/30 5:16 PM |
To 5:16 PMの内緒様

はじめまして。
OSHOのことをダライラマがどのように語っているのか、私が過去に読んだコメントは以下の様なものでした。ただ、OSHO側の機関誌なので、その真偽はわかりません。

「Oshoは、人類が意識の発達においての困難な段階を克服するのを助けるために、あらゆる可能性に働きかけている、光明を得たマスターだ」
ダライ・ラマ14世

OSHOについては一時期は激しい拒否反応を示していたので、過去の記事にはそれらが残っていると思います。できるだけ今の状態に直そうと記事を変えてはいるところです。OSHO自身を理解しなければ、OSHOの教えたことは理解できないんでしょうね。なかなか扱いづらい師であります。

こちらこそよろしくお願いします。
| Teru Sunさん | 2009/08/30 8:36 PM |










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