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スピリチュアル本は数限りなくあります。素晴らしい本を全て紹介し切れませんが一部をこちらで紹介します。こだわりは「百害あって一利なし」。読書が嫌いな方は以下のものを読んでもらえればスピは十分だと思います。

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絶対無と場所
絶対無と場所知的に霊的な探究をしてゆきたいと考えている〈真摯〉な人には打ってつけだと思う本を紹介したいと思います。ダスカロス『エソテリック・ティーチング』も、ある意味、知的な探究への第一歩としてビギナーにも推薦できるものですが。

この本は、スピリチュアルビギナーには難解だと思います。 なので、興味がある人だけのものになってしまいますが、先の日本に生きた探求者の深遠な探究の成果を知ることができます。

秋月龍あきづき りょうみん『絶対無と場所』 。秋月は、世界的に有名な鈴木大拙すずき だいせつに20年以上師事していました。若い頃はクリスチャンであったそうですが、鈴木の弟子となってからは禅者として、仏教とキリスト教の共通するヴィジョンを探究していたそうです。最後まで私は、禅者であり、キリストの弟子ですという信念を持ち続けていたといいます。その探究は深遠です。

秋月は「鈴木禅学と西田哲学」を最も理解している一人 だと紹介しても差し支えないかもしれません。「オーラの泉」でお馴染みの美輪明宏とも深い交流がある、松岡正剛の師でもあります。

世間に多く見受けられる“野狐禅(やこぜん)”の人たちの批評をネットで読むことがありますが、秋月の評判は芳しくはありません。ちなみに「野狐禅」というのは、「禅しかない」「禅が全て」「神などいない」という人たちのこと、〈邪道〉にはまり込んでしまっている人のことです。

当たり前ですが、そんな軽率な禅理解しかできない人には、秋月の話を理解してみてというのが無理な話です。秋月は師のこの言葉を強調する。禅においても神(クリエイター)を認めてよいではないか」(大拙)。

鈴木大拙(すずき だいせつ),西田幾多郎(にしだ きたろう),滝沢克己(たきざわ かつみ),久松真一(ひさまつ しんいち)ら、先の日本の霊的探究を行なっていた人たちの足取りを追うための解説者として、秋月の著作はとても有効だと思います。秋月の話しに耳を傾けておくと〈禅〉とは何か、ゴータマ・シッダールタ(お釈迦さま)、道元が言おうとしていることは何かが分かるかもしれません。

説明が長くなりますが、抜粋します。
西田哲学の基本思想
《前略》人間実存の行為は、それは真に誠実なものであればあるほど、彼の実存の限界的底面撞着(どうちゃく)せざるを得ない。そこで、個体的限定の窮(きわ)まる“限界”に突き当たらざるを得ない。人間は誠実であればあるだけ、そこで「個」のハタラキが窮まり、そこで「個」の一切がその存在ごと否定せられるような“底面”を自覚せざるを得ない。人間の実存は、その本性においてみずからの内にこうした限界的底面をもつ、有限的存在であることを自覚せざるを得ない。人間とはかかる空(むな)しきもの、ひっきょう、それは死すべきものである。死とは、自己の存在の否定、自己の永遠のである。種としての一般的な生命は死なない。死ぬのは絶対の「個」としての自己である。理性もまた死なない。人間の社会のなかに生まれ、社会のなかで成長する。彼の存在の一切は社会によって限定されるといっても過言ではない。しかしそれにもかかわらず、人は彼の実存において徹底的にひとりである。「実存」とは、人間のこういうひとり(絶対の個)の自覚である。このひとりに徹するとき、人はみずからの存在のすべてを、自己一身に背負わなくてはならない。夏目漱石はかつてその年若い弟子の一人の森田草平に対して、「自己以外のものを頼りにするほどはかないことはない。しかもその自己が何より頼りにならないとしたら、森田君、我々はいったいどうしたらよいのか」という意味のことを書いた。このひとりに生きるものにとってはゴマカシはきかぬ。パスカルに「慰戯(divertissement)」という概念がある。子供が泣いている。しかし賢い母はみだりにあやしたりはしない。一個の毬(まり)を転がして与える。すると子供はいつのまにか泣き止んで、無心に毬と戯れる。子供は泣いた原因を忘れ、一個の毬に自己をゴマカシてしまうのである。真にひとりに徹することなく、真に実存にまでなり得ない人は、よくこの慰戯(気ばらし)の生を生きる誰か我々の生活の大半が、この空しい気ばらしでないと断言し得よう。
  実存とは、実に自己の自己に対する誠実の意に他ならない。故に、もしも人が、自分は実存の“限界的底面”などというものを、いまだかつて一度も自覚することなく生きて、しかもなんの不安も不足も感じないというらならば、それは彼の自己がまだ真に実存にまでなり得ていない、人間として低い段階にあることをみずから告白するに等しい。そして、それをひっきょう自己が自己に対する誠実さの問題という他にない。
 はいつも絶対否定に面している。は否定すべく生まれる」(西田)こうして我々の自己は、誠実に自己を押しつめていけばいくほど、自己の限界に突き当たり、自己の永遠の否定に直面せざるを得ない。しかし、不思議なことに、我々が自己を、この自己の絶対の無という限界の底へ突き落とすとき、かえって我々は、その限界に立って我々の自己を超えているもの――「超個の一者」につながってゆく。「我々の自己は、どこまでの唯一のとして、一歩一歩逆限定的に、絶対に接するものである」。「どこまでも矛盾的自己同一的に歴史的世界の個物的自己限定極限において、全体的一の極限に対するのである」。「この故に我々は自己否定的に、逆対応的に、絶対的一者に接する。死即生生即死的に、永遠の生命に入るということができる。宗教的であるのである」(西田、太字筆者)。我々は今少し具体的体験的に、このことを考えてみよう。

『絶対無と場所』「IV 西田哲学の基本思想」p.179-180
この部分の抜粋は、以前記事にした「〈動物的人間〉〈霊的人間〉」で簡単に紹介してみた。自己意識を持たない動物は、無意識的な生を送ることで、人間よりもハツラツとした生を生きる。それと似たように動物的な人間は、人の身体を持って生きてはいるけれど、絶望や生命に焦点を当てられない気ばらしの生を送ることで、人のようで人に成りきれてきれていないということ。人間とは〈霊的〉に葛藤を経験しつつ成長しなければならない。

子供たちは無意識的に生きていることで、大人よりもイキイキしているように見える。それは最も動物的に行動しているとも考えられる。彼らには葛藤というものが理解できない。
直下の『一日一禅』は、松岡正剛もすり切れるほど手元に置いて読んでいると言っているもの。文庫サイズは電車やバスでの移動中も読めるのが嬉しい。
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