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<瞑想>と<脳波>最新研究成果
精神世界(スピリチュアル)の大半の方たちが仰っている「脳波」の理論は古くて仕方ないと感じています。 瞑想の状態は「アルファ波」「シータ波」だとしか書いていません。それは「夢見」の状態だといいますのに……。

船井幸雄氏,須藤元気くんまで「アルファ波」「シータ波」だという位ですから困ったぞ。これは研究不足、情報収集不足です。少し前に紹介したフランス人チベット僧のリカール氏の本を実際に読んでもらった方は分かっていると思いますが、瞑想マスター(達人)たちの出す脳波は「シータ波」だけではないのです。シータ波は、まだ発展途上の段階。

スピリチュアル,ヒーリング系のサイトのどこの「脳波」の話を読んでも、研究途上の情報ばかりが掲載(2007年以前の情報)されています。「シータ波」は確かにいい脳波ではありますが、「夢うつつ、幻覚(ヘミシンク状態です)」で、大切なのはそれではない。そんなヘミシンク状態で夢見をして、それを予言だと思っちゃうから誤るわけです参照]。もちろん、チャネラーたちの意識の段階もヘミシンク段階なのですから、50歩100歩。

マチウ・リカール瞑想マスターたち(熟練のチベット僧侶や西洋人の瞑想者)の出す脳波は劇的な○○波がでていることが研究者たちの実験で明らかになっています。それはダライ・ラマ14世が仰ってもいる預言者の瞑想域ヨガブログランキングでいつも上位のヨギーニうちこさんが引用していたので、そちらを参考に。チベット僧たちの中には既にシータ波の瞑想域を超えている人も実際にいるようです。
2009-05-02 チベット問題 山際素男 著
 ↑「預言者の瞑想域」については記事の中断辺り
 <83ページ 夢について より>というところ参照
もし研究内容を詳しく知りたいと思った方がいればマチウ・リカール 『Happiness幸福の探求―人生で最も大切な技術』を手にとって精読してみれば書かれています。p.200以降に書かれています。瞑想脳波は、今も常に研究が進められています。現代人は科学的なデータという神を崇拝しているから、認知科学からの立証は必要なことですね。今、仏教と科学の共同作業が進められているということです。
興味深い発見の一つは、生活の大半を瞑想に費やしてきた僧侶は、最高レベルの○○波を出すという事実である。

『Happoness幸福の探求』より
Happoness幸福の探求
『ワン・テイスト―ケン・ウィルバーの日記〈上〉』を読んでみると更に上の段階があり、パラマハンサ・ヨガナンダが話すようなクリヤトゥリヤ)[Turiya]」状態まで達することができると書かれている。このクリヤの段階は、さまざまな神秘家,実践家,禅僧,チベット僧たちが言葉は違えど話しているものだと感じている。ウィルバーは、それをワン・テイストと表現しているみたい。たぶん超意識超自己意識)」

ここで間違ってはいけないのは「超意識」だから超人だとか天才だとか、そういうことではなく、そういう状態の人たちは常に冷静沈着、動じない人格者に一歩近づいた人たちということ。そして世界へ意識が拡大してゆく。というわけで、瞑想しましょう!ってシツコイですか。いえ、これは真面目に言っています。読書だけで探究している「ツモリ」のおしゃべり博士さんたちが多いスピリチュアルな世界です。

実践(瞑想,ヨガなど)を伴わない霊的探究は<無意味>です!

実践もなしで「ワンネスで生きる」「あるがままに生きる」「無心で生きる」「すべてはひとつ」といった所で、それは幼稚な言葉遊びですから。 ただの“○○被れ遊び”にしか聞こえません。

実践思想家ケン・ウィルバーの言に筆を譲ろうと思います。

  しかし「パラダイム」を単なる理論へと縮小することによって、科学的な活動は、いろいろな類いの文学的なおしゃべりに縮小されることになる(すなわち新しい宇宙の支配者は……文学批評家である)。 同じように、ニューエイジの前線では、新しいパラダイムは、しばしば古いパラダイムの醜さを覆い隠し、装いを新たにしたものとして登場してきた。
  しかしパラダイムとは、まず何よりも指示、実際の実践である。これらは、人文系の人が支持する理論には決して入らない非‐言説的な要素を持っている。 それは対象となる特定の領域において新しいデータを開示するための方法である。
《中略》
ニューエイジの人々も、いわゆる「新しいパラダイム」を唱道する理論家も、本当に新しいパラダイムに似たものすら持っていない。彼らが提供するものは、さらなるおしゃべりだけである。新しいテクニック、新しい方法論、新しい範型(パラダイム)、新しい指示を持っているわけではまったくない。したがって新しいデータを持っていない。彼らが持っているのは、クーンを誤読することによって、通常科学をやっつけ、それを自分の都合のいいコスモスの読解に置き換えようという擬似的な企てだけ なのだ。
  これに対して、黙想的な伝統においてはまず何よりも、一連の指示が最初に手渡される。それは、何よりもマスターするのに何年もかかる実践の体系である。通常の科学者の平均的な訓練期間よりも長い。こうした指示(坐禅,只管打坐,ヴィパッサナ,黙想,サットサンガ,ダルシャーナ〔どちらもヒンドゥー教における修行システム―訳注〕など。後に詳細に論じる)は、そのすべてが考えるものではなくて、実行するものである。
《中略》
  言い換えれば黙想的な開示は、すべての本物の知識に共通する反証可能な検証基準に対して開かれている。なぜなら黙想の道は、妥当な知識の獲得の三つのステップを確実に踏んでいるからである。

『進化の構造〈1〉』より
「7 人間性のさらなる到達点|神秘主義の妥当要求」p.432-433
ケン・ウィルバー彼は、トランスパーソナル心理学者の第一人者と日本ではいわれているようですが、彼はそれを嫌っているようです。またニューエイジでもないことは読めばわかると思います。何度読んでもいいものですね。

僕の場合、自分と同じ意見を持っている人の話を引用するのは、文章にする能力が足りないからで、ヴィジュアルを創造するデザイナーに有りがちな個性でもあります。そうそう、これが言いたいの!と言うときに他人の言を借ります。

話は違いますが、ニュー・パラダイムと謳っている学者たちはたくさんいますが個人的にはホゼ・アグエイアスアーヴィン・ラズロも怪しいと思っているので紹介したことはありません。また日本の学者として菅原浩パラダイムとニューエイジを混同していたので眉唾でした。ちなみに本書『進化の構造』は図書館本。高価本や絶版本は図書館を利用することをおすすめします。必要な部分はコピー!

さあ、今日から実践ですよ。僕は、40年以上の長期的スパンで実践してゆくつもりなので(今の肉体が死ぬまで)本(読書)だけ探究だけは否定させて頂きます。なので本だけ探求者たちが集い討論議論している掲示板にも興味はありません。初期の段階から参加したこともありません。無意味だから。

空海実践してない人に理趣経は、貸せませんし読ませられません最澄に言ったわけですから。そういえば、ケン・ウィルバーの若かりし頃の写真を見るとチベット僧?と思ってしまったのはツルツルの頭だけでなく鋭い眼光の威圧感からかもしれませんが、アメリカ人の空海みたいな人ですね。

つべこべ言わず、只管打座!

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2009.05.24 Sunday | Category[2]スピリチュアル:瞑想・脳波・実践 | comments(7)

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こんにちは、Terusun。
terusunのブログが好きで参考にさせてもらってます。が、今回はちょっと反論させてください!!

瞑想って一種のチャネリングではないですか?
瞑想を何年も続けていて、神の声?を聞くようになったとか、超能力が身に付いたとか。須藤元気さんも危ない方向にいっちゃったのも瞑想が原因ではないですか?
伊勢白山道さんのブログも参考にさせてもらってますが、彼も瞑想を迷走と呼んでいます。手相家・西谷泰人さんの本でも瞑想をおすすめしてますけど、瞑想するときの注意点(魔が入る?)など述べています。ずいぶん前に読んだので曖昧ではありますが、瞑想が危険になることもありうるのだ、と初めて衝撃を受けたのを思い出します。

あまりにもたくさんの精神世界の本が瞑想をすすめるので、何度かチャレンジしましたが、挫折しました。今はそれで良かったと思ってますし、今は瞑想をしようなどとは思いません。

少しでも霊性に影響を与える可能性がある(万人向きでない)のであれば、お薦めするべきではない、と思います。
そもそもterusunの言う、今を精一杯生きる、に反しているように思うのですが。。

| モリモリさん | 2009/05/26 11:18 PM |
モリモリさん

はじめましてですよね。どうもコメントありがとうございます。

「チャネリング」は、「瞑想」の中というか「脳」のアンテナ機能の段階でいうと一番下の段階に考えた方がいいかもしれませんね。それが「神の声」を聞く段階だと思います。サイキックな能力が出る人もいるのが、その段階のようですね。

「今を精一杯に生きられる、感謝して生きられるようになったら瞑想してみましょう」という感じで捉えてもらえると嬉しいです。

伊勢白山道さんも認めるダライ・ラマもダスカロスもラーマクリシュナもラマナ・マハルシも、ほとんど全ての人が、段階が過ぎたら「さあ、アシュラム(寺院)に入って瞑想しましょう」と言っています。人によって今からか、来年からか、10年後かというようなものもあるのかもしれません。

魔境といわれているものはセロトニン過剰で起こるとされていますが、それも危険なものではなく「今を精一杯生きている」「感謝して生きられている」人に取っては乗り越えられるものだと思います。

今回の記事で大きく紹介している「幸福の探求」などもビギナーさんたちに理解しやすいものだと感じているので、瞑想と共に読まれることを考えています。
| Teru Sunさん | 2009/05/27 12:04 AM |
早速お返事ありがとうございます。はじめての投稿だったのに少しぶしつけでした。すみません。名前もterusunさんですね。輝々さんのほうがちょっと名前を呼びやすいのでそうさせていただきます。

瞑想は、精一杯生きる、感謝する、が土台となってから、というのはとっても納得です。これからはもちろんその土台を基に生活させていただきます。その奥に(私にとって)瞑想があるかはわかりませんが。ちょっと小心者です。。

スピリチュアルがわたしにとって危ない方向だったのを知るきっかけとなったのは輝々さんでした。なのでとても感謝しているのです。これからもよろしくお願いします。
| モリモリさん | 2009/05/27 10:26 AM |
瞑想についての個人的見解。
(A)内省を伴う瞑想(目的:意識を磨く)→安全。万人におすすめ
(B)内省を伴わない瞑想(目的:霊能力開発)→危険。覚悟が必要

私は瞑想を特別視していない。また瞑想の定義も一般的なものと異なる。
瞑想とは健常な心の持ち主なら誰もが日常行っている、内省(良心との対話)
だと私は思っている。だから徹頭徹尾現実的であり、とても役に立つ。

しかし日常生活の様々な状況下で瞬時に行う心の中の対話というのは、その場
限りで終わると底が浅い思考のため、同じような状況を再現する可能性がある。
だから、特に心に強烈な印象が残るような体験、重荷になるような体験があった
時は、その日の夜に静かな場所で一人きりになって集中的な深い内省をする。

「なぜあのような状況が生み出されたのか」「あの状況において自分の対応に
問題はなかったか」「今回の体験で自分はどんな意義を学べばよいのか」「原因
と結果・作用と反作用の観点から考えてみるとどうなるか」「もし自分がつらく嫌な
体験をしてるなら以前そのような事を誰かに行っていなかっただろうか」...etc

ちなみに私が意識的に深い瞑想(内省)を定期的に行っているのは年2回だけ。
12/31(心の大掃除の日)と1/1(新たな決意の日)。ということで私にとっての瞑想
とは非常に身近でかつ気楽に行え、そしてありがたい人生の知恵である。

Bの瞑想が危険な人→霊的感応力が高い人(大抵は自覚できるものではない)
危険な根拠:「類は友を呼ぶ」

チャンネルが開かない限りは安全だが、そもそもBの瞑想はチャンネルが
開かなければ意味がない。世のため人のためという止むに止まれぬ至純な動機で
行うのは大変結構な事。しかし常にそのような清廉な意識を保っているのは困難
であり、スキあれば良からぬ霊を引き寄せて精神異常者のレッテルを貼られる。

だからもしBの瞑想を行うなら自分が瞑想する目的や動機を総点検し、たとえ廃人
になろうともこの道を貫くという覚悟で行うなら、その人の自由意思を私は尊重
する。焼け火箸を握ればヤケドする事が分からない悪い意味で赤子のような大人
なら、ヤケドして悟ってもらうしかない。また実生活と直接関わりのない瞑想なので
現実逃避にも注意。
| 赤い電気の空歩く者さん | 2009/05/27 11:11 AM |
輝々 様

長くなるので区切りました。ここからは私がなぜ一般論的な話をして
輝々さんへの反論をしなかったかということについてです。
一言でいえばそれは「立場の違い」。輝々さんははっきりと立場を表明しています。

実践(瞑想,ヨガなど)を伴わない霊的探究は<無意味>です! …と。

霊的探究者としての覚悟がよく分かります。対して私はというと、はっきり言って
霊的探究者じゃありません。無神論者ですから(笑 というか疑い深いトーマス君
かな。実証不可能なものを自分の思考の枠組みに取り入れる事はしない現実
主義者として、しかし人生をより良く生きるための知恵を探す者として、精神世界
だろうがニューエイジだろうが役に立ちそうなアイディアであれば実行する立場
の人として、自分とは異なる考えを持つ人(でも覚悟のある人に限る)の考え方は
参考になります。

反論する人々の立場も聞いてみたいところ。
「彼らが提供するものは、さらなるおしゃべりだけである。」ふむ、非常に的を射た
コメントですね。もし反論する人々が霊的探究者なら、どの程度の覚悟で反論する
のか。そのあたりは明確にしておいたほうがよりお互いのためになる良い意見交換
が出来るでしょう。私としては自分と似たような立場の人からのコメントも聞いて
みたいところ。
| 赤い電気の空歩く者さん | 2009/05/27 11:40 AM |
モリモリさん

> はじめての投稿だったのに少しぶしつけでした。

いえいえ、まったく構わないと言うか、全然誠実なコメントでしたよ。
2年間ブログをしていると、本当にキチガイのレベルの方々もおりますから、モリモリさんは誠実にコメントして下さっているのが分かりましたし、ですから返信しました。

モリモリさんがどのような立場からコメントをされているのかという事を考えさせてもらえたので参考になりました。こちらこそ、ありがとうございました。
| Teru Sunさん | 2009/05/27 10:44 PM |
赤い電気の空歩く者さん

> 無神論者ですから(笑 というか疑い深いトーマス君かな。

そうですね、無神論者は響きがカッコイイです。
目に見えない世界は、恐らくは実証するのは個人の内面の中だけでしょうけど、たぶん赤い電気の空歩く者さんの神は「無神」という神を主体に生きられていると思うので良いのではないかと思います。

赤い電気の空歩く者さんの挙げる〔A〕と〔B〕以外にも、さまざまありますが、良いものと「極端なパワー志向の行う瞑想」をBとした所なので同意します。

| Teru Sunさん | 2009/05/27 10:54 PM |










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