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スピリチュアル本は数限りなくあります。素晴らしい本を全て紹介し切れませんが一部をこちらで紹介します。こだわりは「百害あって一利なし」。読書が嫌いな方は以下のものを読んでもらえればスピは十分だと思います。

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神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
神々の沈黙 ダスカロスルドルフ・シュタイナー〈バイキャメラル・マインド(Bicameral Mind)=二分心〉(人間に備わっている二つの精神のこと)を自在に扱えた―2人の顔写真にその特徴が現れている。シュタイナーは、その〈バイキャメラル・マインド〉を伸ばす教育を模索し「シュタイナー教育」というものを造り出した。

 ドロシー・イーディーも階段から落ち死の縁で〈バイキャメラル・マインド〉を得た。ロバート・モンローたちが開発したヘミシンクという音響システムも同様に疑似〈バイキャメラル・マインド〉を造り出すもののようだ。

 〈バイキャメラル・マインド〉が活動する時間帯は、のんびりと寛いでいるとき、湯舟に浸かってリラックスしているときなどだという。古代の人々は〈バイキャメラル・マインド〉の声を聴いて生きていた。

 現代人が〈バイキャメラル・マインド〉を使えなくなったのはなぜだろうか。そのような話を打ち出した衝撃的で意味深長な内容、ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』(紀伊国屋書店)。

ピタゴラスの「psyche(プシュケ)」は、この『オデュッセイア』の霊といくぶん似ており、死んだ瞬間肉体から離れる人間の何か一部を指している。そして、冥府における「psyche」の姿は、埋葬された死者に対する古代ギリシアの見方とピタゴラスの教えが混ざり合ったものかもしれない。

 紀元前六世紀のこの興味深い展開は、すべて心理学にとってきわめて重要な意味を持っている。なぜなら、一つの語意全体の中では、いつもおびただしい数の言葉同士の緊張関係が存在し、語意全体のバランスをとっているので、「psyche」の意味が歪曲されて「生命」の意から「魂」の意へと変化するにともない、その歪みのバランスをとるために新たな意味の変化が起きたからだ。それまで「soma(ソーマ)」という言葉は、「遺体」や「死んだ状態」、つまり「生きていること」を指す「psyche」とは反対の意味を表していた。それが今や、「psyche」が「魂」を意味するようになると、「soma」は、「psyche」の反対語という性格に引きずられて、「肉体」を意味するようになる。こうして、魂と肉体は分離したものと考える二元論が誕生した。

 ところが、変化はこれにとどまらなかった。紀元前500年頃のピンダロスやヘラクレイトスらの間で、「psyche」と「nous(ヌース)」の概念が融合し始める。こうして、意識ある主観的な〈心の空間〉と意識ある自己が、形而下的な肉体に対立する概念となる。「psyche」と「soma」の摩訶不思議な二項対立にまつわる新たなカルトがいくつも勃興する。この二項対立によって、新たな意識経験が呼び覚まされ、その経験の説明もつくように思われ、その結果、意識経験の存在自体が揺るぎないものになっていく。意識ある「psyche」は、墓の中に閉じ込められるように肉体の中に囚われる。意識ある「psyche」は、驚異に目を見張る人々の論争の対象となる。「psyche」はどこにあるのか。肉体の内外でその所在はまちまちだ。何でできているのか。水(タレス)、血、空気(アナクシメネス)、息(クセノフファネス)、火(ヘラクレイトス)などなど。このように、「psyche」の学問はすべて怪しげな問題の泥沼から始まった。

「第5章 ギリシアの知的意識」P352~353

コメント: 人類は言葉を編集し、意識も編集していますね。プロティノスなどが神のヌース「nous」を持ち出すとき、この泥沼も考慮に入れて編集したのがネオプラトニズムという「神の学問」なのかもしれない。まさに編集。


私たちの行く手には、由来の大問題がただちに現れる。なぜなら、旧約聖書のほとんど、とくに本章のテーマにとって重要な最初のいくつかの書は、広く知られているとおり、紀元前7世紀から5世紀にかけて創作された作り話だからだ。旧約聖書は、様々な時代や土地から集められた色鮮やかな糸を見事により合わせて作った作品だ。たとえば「創世記」の第一章と第二章では異なる創世神話が語られている。ノアの洪水の物語は、古代シュメールの碑文を一神教的に焼き直したものだ。ヤコブ(訳注 神と格闘して「神の勝者」を意味するイスラエルの名を授かった人物。彼の12人の息子はイスラエル12部族となった)の物語は、紀元前1000年以前にさかのぼることも十分ありうるが、その直後に登場し、ヤコブの息子とされるヨセフが活躍した時代は、少なくとも500年後だ。すべてはヨシヤ王が神殿を清め、そこに残っていた〈二分心〉の儀式を根こそぎにするように命じた後、紀元前621年にエルサレムで「申命記」の原稿が発見されたことから始まった。

「第6章 ハビルの道徳意識」P357

コメント: それを言っちゃ〜お終いよ!という声が聞こえなくもないですが、日本の「古事記」、インドの「マハーバーラタ」など創世神話というものがありますが、そのほとんどが貴族、王族階級、簡単にいえば支配者が民衆や奴隷を支配するために書いたようなふしがあるというものです。インドの聖者に欺かれている事実などもあるので、よく覚えておいたほうがいいかも。ちなみにガンジーは聖者ではありません。

 こういう物語は〈バイキャメラル・マインド〉だけの〈共有幻想〉を持った社会では有効で、それなりの意味もありそうです。

 現代も〈メディア、流行〉という名の〈神〉=〈支配者階層〉という〈共有幻想〉を作り出し、その〈神〉を崇めている時代ですから、意識ある人間になるのは、なかなか大変です。「意識のあるサイボーグ」を作り出している時代ともいえますね。女性たちがスピリチュアルの危うい面にはまりやすいのも、この幻想を好む傾向が強いからです。


 3世紀の終わりには、突如キリスト教が異教徒の世界に殺到して、権威は我にありと宣言し、異教徒の習慣を次々に取り込んでいった。憑依という概念もその一つだ。ただし、キリスト教が吸収した憑依は、人知の及ばぬ神秘的なものへと姿を変える。イアンブリコスが偶像に神々を呼び寄せる方法を教え、若く無学な霊媒に神性と「一体」となって神と「精気を共有」する秘儀を伝えていたのとほぼ同じ頃、それと張り合う形で、アレクサンドリア司教アタナシオスは、同じことを無学なイエス・キリストについて言い立て始めた。それまでイエスはヤハウェに似た存在と見なされ、その生まれを考えて、半神半人のようなものではなかろうかとされていた。ところがアタナシオスは、イエスがヤハウェと「一体」かつ「同質」であるという、さながら〈二分心〉世界を具現化させたかのような説を唱えて、皇帝コンスタンティヌス一世を説き伏せ、皇帝が召集したニカエア公会議の面々に信じ込ませた。以後、この考え方がキリスト教の正統となっていく。

「第2章 預言者と憑依」P420

コメント: その分野の言葉や語意を研究している著名な学者の皆さんたちには悪いけれど、こういった一面もあるんだと素人は考えることができますから、そういった柔軟な心でゆきたいものです。


音楽の本質

音楽を聞いて味わうときにも人は脳の右半球を使っているからだ。

 音楽にかかわる機能が右半球に局在していることは、ごく幼い子供にもみてとれる。たとえば、生後6か月の赤ん坊が母親の膝(ひざ)の上にいるときに、脳波を計ったとする。電極を左半球にあるウェルニッケ野の真上と、ウェルニッケ野に相当する右半球の領域の真上に取り付けて、誰かがをしているテープをかけると、左半球のほうが活発に働く。ところが、オルゴールのメロディや人の歌声を録音したテープをかけると、今度は右半球が活発になる。
《中略》
人間の発達にとって子守唄がきわめて重要であって、もしかしたら子供の将来の創造性を左右しているかもしれないことも、この実験からうかがえる。

「第3章 詩と音楽」P445

コメント: 「シュタイナー教育」というやつですね。創造的なものを描かせたりするような情操教育です。

 うちの母親は、ぼくが幼い頃、壁一面に白い紙を貼り付けておいて、幼いぼくはその壁にクレヨンでデッカイ絵や線を描いていたそうな話を聞いて、母親の先をいった教育に驚きました。

 お陰で絵を仕事にするようなデザイナーの感性が育っていったようで音楽や色を自由に組み合わせたオリジナルの教育を考えてみるのもいいかもしれません。これから母親になる女性の皆さん。


古代の詩人が霊感に打たれて発した言葉とその真実の重みを手本にして、それを忠実に模倣することが詩人の新たな仕事となった。〈二分心〉の神の声を真似ることから始まった模倣は、現実の再現としてのプラトン的な模倣へと変り、ついには苦々しさを噛み締めながら技術によって写し取ることを意味するようになった。

「第3章 詩と音楽」P455
総括コメント: この著者ジェインズは、心理学者として、とてもルドルフ・オットー的な著者なのでロゴス(言葉)の側面が優れた人なのだろうと感じます。人は、ロゴス的な人パトス的(スピリット的、霊的)な人の2タイプしかいません。

 その両輪がまわっている人というのには出会ったことはありません。

 ダスカロスもシュタイナーもパトス的な方面では優れていますが、ロゴス的な面では、ルドルフ・オットーゲルショム・ショーレムなどの他の人には劣ると思います。なので、両輪の意見や著書を読むことが大切だと思います。

 UFO、アセンション、クラリオン星人、バシャールやらのスピリチュアルな人たちというのは、このパトス的な面だけしか考えませんからドツボにハマル危険が高まります。それが知的なインテリジェンス・スピリチュアルでもパトスだけでは誤ります。スピリチュアリズムもパトスしか考えませんからドツボがあります。

 
ロゴスもパトスも働かせて生きるというのは、なかなか難しいものです。アセンションを信じて疑わない著名な人たちが大勢いるのも、このパトスしか信じていないからです。
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スピリチュアルな想いを形に
2009.04.05 Sunday | Category[2]スピリチュアル:読書の痕跡 | comments(0)

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2020.06.30 Tuesday | Category- | -

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