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誤った「輪廻転生観」を捨て去る日
 ダスカロスの間違った考えについての補足としての記事をアップしておきます。なぜヒンドゥイズムの「輪廻転生」ではいけないのか?

 このことは深い話が背景にあります。それは、うちこさんのような読書家のヨギーニさんでも、そのことを薄々感じております。知ることは新しい自分に生まれ変わることです。日々生まれ変われます。
 応報主義(巷でカルマの法則と云われているものなど)というのは、ヘブライ大学博士・石田友雄氏(1931年~)によれば、「正しい人には良い報いが、悪い人には悪い報いが現世において与えられる」 という考え方で旧約聖書の知恵文学の教義であったと言う。しかし、事がそう単純でないことは人生を長年経過した人にはわかることであろう。

 これの逆の説明が、輪廻転生を利用したもので、「あなたが今生で盲目なのは、あなたが前世で、あなたの先祖の○○さんの眼を矢で射潰してしまったためだ」というようなことである。それが本当ならば仕方ないのだが、これを証明するものがないので「信じる、信じない」という話になってしまい、何だか三文小説の筋書きみたいなことになり、こうした説明そのものの品格を落してしまうのである。それに、善行がいつも報われるというのも、ほとんどの人が納得いかないものであろう。悲劇のままで終わる人も結構頻繁にみかけるからだ。

 この問題は聖書にも登場する。新約聖書では、ある人がキリストに問いかける。

「この人が生まれつき盲目なのは、本人が罪を犯したからですか、それとも両親が罪を犯したからですか?」と。これに対してキリストは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業(みわざ)が、彼の上に現われるためである。」(ヨハネ伝9章2〜3節)と、分かったような分からないような奇妙な返事をしている。実は、この問題こそは旧約・新約の聖書を通じての一大テーマなのである。これについて旧約聖書では、どう述べられているのだろうか。石田氏の『ユダヤ教史』(山川出版)で見てみよう。

 本来、応報主義は、神の大能と正義に対する信仰から出発した教義であった。しかし、応報主義には、無限の神の働きを、人間の有限な知恵によって説明し尽くそうとする危険性が、常に内包されている。この時代に、この危険性を指摘し、応報主義の教義の破綻を勇敢に宣言する新しい型の知恵文学が著作された。

 《中略》

 正しい者が受ける苦難の原因は、応報主義によっては説明できない、という主張を、「ヨブ記」の詩文の著者は徹底的に追求した。紋切り型の応報主義によって彼の苦難の意味を説明しようとした三人の友人を論破した後で、ヨブは神に対話をいどむ。しかし、神は、ヨブの苦難の原因について答える代りに、神が世界の創造者でありヨブは被造者にすぎないという"事実"を指摘する。それまで自分の正しさを主張してやまなかったヨプは、この"事実"を突きつけられ、初めて口をつぐむ。このように、「ヨブ記」の詩文の著者は、神の大能の中に隠されている正しい者の苦難の原因を、人間の知恵によって説明しようとする応報主義の誤りを鋭くえぐり出してみせる。

 応報主義と真向から対決した「伝道の書」には、一見、虚無的雰囲気がただよっている。彼はすベてが空しいという。

「わたしの空しい日々に、わたしはすべてを見た。正しい者がその正しさのゆえに滅び、悪い者がその邪悪のゆえに長生きすることがある」(7章15節)

「空しい。すべての者に同じことが起こるからである。正しい者にも、悪い者にも、善い者にも邪悪な者にも、清い者にも、汚れた者にも、犠牲をささげる者にもささげない者にも同じことが起こる。善人も罪人のようなものであるし、誓いをする者も誓いを恐れる者のようなものである。太陽の下で行なわれる事すべての事柄の中で、すべての者に起こる同じこと、それは悪である」(9章2〜3節)。要するに、「正しい者も悪い者も、人間は皆死ぬ。死ねば人間も獣も変りはない」(3章18〜21節) とまでいい切る「伝道の書」の著者は、透徹した現実主義者である。それにもかかわらず、彼は無神論者でも虚無主義者でもない。彼が本当に主張していることは、有限な人間は無限な神から与えられた人生を喜んで受けとればよいのであって、それを応報主義という人間の理屈で説明しようとしてみても空しい、ということなのである。

『ユダヤ教史』 山川出版 P170より
 この記述は終末論へと続き、終末的な救済の思想へと展開して行く。これについて精神医学者で思想家であるC.G.ユングは『ヨブへの答え』(みすず書房)という著書を記し、“キリストはヨブへの答えとして神が顕現したものだ”という論を展開している。この問題に興味ある方は、石田氏の『ユダヤ教史』とユングの『ヨブへの答え』を読まれるとよい。

 また、この件に関してカトリックの日本における宣教師・司祭であるバルバロ氏は、ハバクク書注解で次のように述べている。

「人間にはわからないが、神は人の目に矛盾だと見える道を使って、最後的な勝利を準備しておられる」 と。

 こうしたことから、問題とした応報主義は、実はキリストの救済の業、マルタ・ロバンが生涯をかけて証(あかし)した―ジャン・ギトンの言う―「犠牲の哲学」へと弁証法的に発展、展開して行くのである。すなわち、「犠牲の哲学」とは、それほどまでに難解な哲学だから、簡単にこの思想、真実を腹に落とし込むことは難しいのである。

 だから、マルト・ロバンが言うように「あなたが今このことが判らなくても、それは仕方ないのよ。でも、いつか理解して頂戴ね」ということなのである。
 話は個人的なことだけれど、師匠と連絡がつかなくなっている。歳をめされた方なので、とても心配だ。師匠からダスカロスのことなど、多岐にわたっていろいろ教わってきた。

 「守破離」の時期が天の導きでなされたのか、そうでないのか…。もう「離」の時なのか…。
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スピリチュアルな想いを形に
2009.03.18 Wednesday | Category[2]スピリチュアル:キリスト的なもの | comments(3)

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スピリチュアルな想いを形に
2019.09.01 Sunday | Category- | -

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最近思うのですけど、カースト制は「ある摂理」を盲目(霊的に)人間の視野で部分的に切り取った物の見方だと思うのですね。

必要だから、今の境涯に生まれたのだということさえ納得できれば、そこまで考えなくてもよいのかも。

あるがままを受け入れることは、難しいです。今現在でさえ、それが出来ていないから「人間」なのでしょうかねぇ。

そういえば、私も気功の師匠とは連絡がつきにくくなっています。どういう事かは、これからわかるでしょうけどねー。さみしいですね。ではー。^^
| 整体Cさん | 2009/03/20 12:16 AM |
terusun,ジャイ・ビーム。
そんな挨拶をしたくなる記事でした。
これについては書き出すときりがないのですが、書かずともお察しいただき、うれしゅうございます。書き方難しいんですよね。みんな無心にガンジー尊敬教育を受けているし、うちこも実際ヨガをはじめなければ、そうだったと思うので。

ちなみにうちこは普通に相変わらずインド人師匠にしごかれております(笑)。
| うちこさん | 2009/03/20 2:23 AM |
ジャイ・ビーム、うちこさん

この問題は、本当に説明するのが難しいです。
さらにぼくら日本人の狭い視点で語るのも難しいですね。
ササイ師には頭が下がります。
また詳しく記事を書こうと思っています。

彼らを「神の子」となずけ悪ふざけをした
偽りの聖者ガンジーについても。
| Teru Sunさん | 2009/03/20 10:34 AM |










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