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神と人とは友のような存在だ!
 新約聖書には誤まった文言が宗教権力者の意向などで混ぜられ載せられているということで、すべてをそのままで理解することは出来ませんが、この「ヨハネの福音書15:15」のセリフ部分が気に入りました。
これからもう私はあなたたちをしもべと言わない。しもべは主人のしていることを知らぬものである。私は父から聞いたことをみな知らせたから、あなたたちを友人と呼ぶ。
バルバロ訳より
もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
新共同訳より

 この時のイエスダスカロスがいうジョシュア・イマヌエル)が「私」と言っているのは人としての目線で語っているわけではなく、恐らくは〈神の目線〉から語っていると思うので、「神(絶対、アッラー、一なる霊、サムシング・グレート、グレート・スピリットなど)と人とは友だ」という事だよ、と言っているのかも。

 「神と人間とは友だ!」という話は、ダスカロスの「放蕩息子のたとえ話」と同じような趣(おもむき) があって好きになりました。

聖書―旧約・新約
聖書―旧約・新約フェデリコ・バルバロ

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スピリチュアルな想いを形に
2009.01.23 Friday | Category[2]スピリチュアル:キリスト的なもの | comments(4)

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スピリチュアルな想いを形に
2019.09.01 Sunday | Category- | -

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小生、キリスト教徒では有りませんが、聖書は、共同訳とカソリック向けのフランスコ会を持っております。

共同訳がどうしても好きになれないのは、マタイによる福音書の山上の垂訓で「心の貧しい人は幸いである」という処です。
フランシスコ会の訳ですと「自分の貧しさを知る人は幸いである」となっています。
その解説によると、一般的に、「心の貧しい人」訳されているが、直訳では《霊に置いて貧しい人》。と言うことのようです。

日本語的には、「心の貧しい人」とは、自己中心的で、自分勝手な、それこそ心の貧しい人の事ですから,天国はその人のものではありません。

キリスト教ではそう解釈しないのでしょうが、明らかに強弁です。
小生としては、この明らかな誤訳を、何故、替えないのか疑問を感じております。

本来なら、「心に寂しさを感じる人」とか「心にむなしさを感じる人」とかの方が近いのではと思いますが、それも難しいのなら、やはり、フランシスコ会のように「自分の貧しさを知る人」あたりの方が、直訳から少し離れると言っても、まだ自然だ思います。

バル・バロ訳は、他の部分は素晴らしいと思いますが、この部分は共同訳と同じと言うことで、購入をためらっております。
| 愛国浪人さん | 2009/01/24 11:09 AM |
「直接降りてきた神の分体でも、人間の肉体を使う時は入れ物に影響される」という意味かなあと思ってました。「類友」という言葉もありますし。

霊的な知識を手に入れると、神人なみに責任が重くなるという事かもしれないなあと、記事を読んでいて思いました。そういえば、シルバーバーチも、そんな事を言っていたそうで。^^;今日もありがとうございます。(笑)では。
| 整体Cさん | 2009/01/24 11:31 AM |
愛国浪人さん

僕もプロフィールに書いてありますがクリスチャンではないんですが、実は日本人はクリスチャンが多い国だったということも最近わかりました。旧約聖書でも「神の道」と翻訳されていると思いますから、神道というのは同じなんですよね。

なるほど、いろいろな訳があるんですよね。ニュアンスでこうも違うのかと思うものもあったり、普通の本でも「否(いな)」と書かれているものを、僕の場合は脳内変換して「いや」としたりして読んでいます。

訳というのは、本当に誤りを生みやすいものですね。詳しい対比コメントありがとうございます。
| Teru Sunさん | 2009/01/24 11:43 AM |
整体Cさん

どうもです!!

まったく話は違うのですが、生まれることが出来ることが「友」になれる最大の資格ではないかと益々思うようになってきました。この惑星に人として生まれることで、少しずつ段階を踏んでゆく感じですよね。それがカバラーの象徴みたいなものですし、教派神道でも次に生まれることができるといわれているものなのかなと。

「生まれることができなくなる意識」もいるはずで。それじゃ、その霊的知識を得た人間は、神さまと友のような存在になれる鍵をもらったという感じかなと思いました。

ありがとうございました。
| Teru Sunさん | 2009/01/24 12:06 PM |










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