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スピリチュアル本は数限りなくあります。素晴らしい本を全て紹介し切れませんが一部をこちらで紹介します。こだわりは「百害あって一利なし」。読書が嫌いな方は以下のものを読んでもらえればスピは十分だと思います。

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「呪いの研究」より重要文章を抜粋

呪いの研究アメリカで生まれたいわゆるニューエイジの思想では、愛と光の世界に、自分を導いてくれる霊的なガイドとの交信が重んじられる。

ニューエイジャーの言う「高次の自己(ハイヤーセルフ)」という言葉はとても聞こえがいい。

だが、自分を超えてそれと一体化するという業(わざ)は、あるときは荒ぶる神に我が身を明け渡し、またあるときは悟りの成就を妨げようとする邪鬼、悪鬼との対決であったりもする。

そこには、ニューエイジャーの説く「カリフォルニアの青い空」は広がっていない。私の見たものは、光と闇、愛と憎しみの交錯する世界であり、いつも晴れているとは限らなかった。

今回の本はタイトルだけ見たら「買いたくない」と思ってしまう人が多いと思いますが、必読書です。今までは、この本は“レベルが高い”ので紹介しませんでした。一応、ブログは「初心者向け」をうたっていますから。

アマテラステルミカミは最強の祝詞です!
僕の眷属神が強化されます。みんな、毎日唱えて下さい。
これでみんなの念を僕が使えるようになるっす!!
アマテラステルミカミ アマテラステルミカミ(嘘、うそ!)

じゅ‐じゅつ【呪術】
(magic)超自然的存在や神秘的な力に働きかけて種々の目的を達成しようとする意図的な行為。あらゆる社会に見られる善意の意図による白呪術(white magic)と邪悪な意図による黒呪術(black magic)とに分けられる。また専門の職能者に限られる呪術から、呪術とは明確に意識されていない行為まで多様である。

「呪術」は英語で「マジック(Magic)」
ギリシャ語「賢人,魔法使い」の意 ⇒ Magician,Magi,Magus

キプロスの偉大な白呪術師で神学,哲学博士ダスカロス の本のタイトルは
The Magus of Strovolos 
「ストロボロスの賢者」 または「ストロボロスの呪術師」とも訳せるわけです。ダスカロスは賢人でもあり卓越した白呪術の名手ですから。呪術師というよりかは、やっぱり賢者ですね。『呪いの研究』の内容は、ダスカロスを知る人にも、参考になるでしょう。なぜ彼が、「北斗の拳」のケンシロウのような眼をしているのか分かると思います。

話を戻しますが、日本の呪術師の世界を垣間見たり、「スピリチュアル,ニューエイジ,精神世界の闇」を知るためには、『呪いの研究‐拡張する意識と霊性』は読んでおかなければダメだろうという気持ちです。

この本は日本的に書かれたものですから日本人の私たちには、とても馴染み深いものだと思います。ですが、どうしても西洋風を好む女性層がこの世にはいますから、それですと以前も紹介したウィリアム・ブルームの『精霊‐共同創造のためのワークブック』で同じようなものがありますが、中村雅彦氏の『呪いの研究』の方が断然おすすめです。

今までの記事を見回すと辺り構わず指摘,批判をしているように思われるかもしれませんが、基本的にはこれらの本に書かれていた「闇(光だと勘違いしている)」にのめり込んでいる人に参考になるのではと、思いました。
メッセンジャー ストロボロスの賢者への道試し読み
◆エソテリック・ティーチング ⇒ Amazon
◆祈りの研究 現世利益の実現 ⇒ 抜粋
◆呪いの研究 拡張する意識と霊性 ⇒ 抜粋
この4冊を読めば、霊性的に自分が間違いないか分かるのでは?

前置きが長くなったので抜粋をはじめます。僕の記事じゃないのでジックリと読んで下さいね。 流し読み禁止としておきます!
「魔界」四国に住む
私の住んでいる四国には、「拝み屋」と呼ばれるシャーマンが大勢いる。拝み屋とは霊能力を持った祈祷師であり、占い、まじない、加持祈祷などを行って、相談者のさまざまな悩み事や現世利益的な願いごとを支援する人々のことである。神道系、仏教系、修験道系、陰陽道系など、宗教的背景はさまざまだが、昔ながらの呪術的、密教的伝統に根ざした儀礼を行ない、降神、憑依などのトランス状態になって託宣したり、神霊や仏との交信を通じて相談者の環境の変容を試みたり、心身の「癒し」を試みるのを生業としている。いわば伝統的霊性に根ざしたシャーマン型霊能者の世界が、今でも存在するのである。

こういう世界が日本にもあることを知らずに、あまっちょろい話などにひかれ、ヒマラヤに思いを馳せたり、秘教マニア、ニューエイジマニアになったりするのが僕には理解できない。この日本こそが世界的に見ても近代と古代を併せ持つ国はない気がする。

四国の呪術師
さて、拝み屋の間で日常茶飯事に「サイキック・ウォーズ」が繰り広げられているのは、この世界では公然の秘密のようなものである。簡単に言えば「念」の出し合い、飛ばし合いである。
《中略》
拝み屋の看板をあげる人の中には、身体を壊したり、病床に伏せり、生死の境をさまよう経験をもつ人が少なからずいる。一つには相談者たちの持ち込む邪気、邪念に長年さらされ続けることで、肉体が変調をきたしやすくなる。それ以上に凄惨を極めるのが、同業者に呪詛をかけられて命を狙われる、というたぐいの戦いである。
《中略》
しかし、四国霊界、そして専属祈祷師を養成している宗教団体では、実際には呪縛、呪殺を目的とした破壊的な生体念力を使う方が多いように思えてならない。
《中略》
シャーマンとは癒すだけではなく、滅ぼす者でもある。21世紀の現代日本においても、奈良・平安の昔と同じく、呪術の伝統は脈々と息づいている。専属祈祷師を養成している新宗教団体も存在する。ある新宗教団体では、霊能者の卵に向かって「殺られる前に殺れ」と説いている。「裏切り者は消せ」というのも、この世界の常識である。

この話は私が祖母や母親から聞いていた話と同じで、新宗教団体にはキリスト教系、神道系、仏教系とか関係なく専属能力者がいるそうです。或る密教僧さんの話だとキリスト教系新宗教団体から「専属能力者へならないか」とアプローチがあったが、それを断ると激しい呪詛攻撃に遭ったらしい。跳ね返した後の話なので、物腰柔らかいお婆さんなのだが、すごいものをお持ちなのだと思う。こんなことを知らない人は、スピに興味を持たない方がいいかも? だから、僕は前から霊能力開発学校系の類いは紹介していましたが、まったくもって通おうとなんてしないんです。バカバカしいから「やめとけ!」と。なる使命がある人ならば、勝手になるからさ(笑)。

「拝み屋」たちの生きざま
最近は、「手軽に霊感を身につけたい」、「霊能者ってかっこよさそう」と思って、その道に入り込んでしまう若い人たちもいる。しかし、くれぐれも言っておくが、霊感があることで得をするようなことはほとんどない。得るものよりも、失うものの方が多いのが「拝み屋」の世界なのである。実際に拝み屋をしている人々に聞いても、異口同音にそう言う。彼らにとっては、平凡な人生を歩む方がよっぽど幸せだというのだ。何も見える、何も聞こえない状態でいる方が、他人の腹の底、本心がわからないから気楽でいられる。
《中略》
なお、霊的智慧には、光りの要素と闇の要素の両面が含まれている。そして、そもそも両者は同一の神仏意識の裏表でもある。真の覚者になると光で闇を消し去ることができるようになる。しかし、その他大勢は、闇に呑まれて淘汰されるか、その道を歩むことを断念せざるを得ない状況に追い込まれていく。これが「魔界」である。闇(負)の力というのは、光(正)に比べて圧倒的で、勢いも強い。その破壊力に圧倒されると、命取りになる。実際、拝み屋には魔の力を使う人の方が多い。

よく「魔」が来る、「魔」にやられるという表現を彼らは使う。「魔」は多くの場合、象徴的な形で彼らの前に現われる。日本では、キツネ、ヘビ、犬神などの憑き物信仰が昔からあった。
《中略》
人の邪心、邪念といった想念が動物の姿に象徴化されて、超感覚的に感知されるようになるようだ。邪念の種類や程度によって感知される象徴の風貌や色彩も異なり、メッセージの入り方(口調)も違ってくる。高次の神霊、清浄なるものはまばゆい光を放ったり、見るものに畏敬の念を起こさせたりする形で出現する。

海外がスピリチュアル先進国のように思っている人がいると思うけど。研究はしてないけど、日本は、かなりレベルが高いお国柄だということを分かってもらいたい。ただの遊び程度のチャネリング講座ならば、いいと思うけどれど…。なので、イギリスの霊訓というものも日本では広がらない。江原さんや美輪さんは、こういう闇があることは出来るだけテレビでは言っていないんだろうな。仕方ないことだね。

苦悩と苦難
特に霊的な世界で仕事をする人の場合、「命の取り合い」になることは珍しくない。きれいごとだけ言っていては、悟りを得る前に、この世から抹殺されかねないほど熾烈な世界だということを忘れてはならない。
《中略》
最近は気軽に霊的な修行の世界に入る人もいるようだが、修行ごっこならいざ知らず、本気で修行するつもりなら、大きなリスクも背負っていることを覚悟してほしい。しかも、霊的な世界で起こる出来事は、基本的に自己責任に帰属する。命を投げ出して責任をとらなければならない事態も起こり得るのだ。そのようなときには、誰も助けてくれないし、誰かにすがろうと思っても、「大いなる計らい」によって一切の支援を断ち切られてしまうこともある。適切な指導者に師事する必要性は学校教育に通じるところもあるが、師匠の霊的レベルを超えた圧倒的な意志が介入し始めると、師匠でさえも手助けできなくなってしまうこともある。

アメリカで生まれたいわゆるニューエイジの思想では、愛と光の世界に自分を導いてくれる霊的なガイドとの交信が重んじられる。ニューエイジャーの言う「高次の自己(ハイヤーセルフ)」という言葉はとても聞こえがいい。だが、自分を超えてそれと一体化するという業(わざ)は、あるときは荒ぶる神に我が身を明け渡し、またあるときは悟りの成就を妨げようとする邪鬼、悪鬼との対決であったりもする。そこには、ニューエイジャーの説く「カリフォルニアの青い空」は広がっていない。私の見たものは、光と闇、愛と憎しみの交錯する世界であり、いつも晴れているとは限らなかった。

とても重要な話です。感謝、先祖供養は当たり前なことですから、それをおこたれば罰当たりですが、ただ、それだけで悟ることなんてできません。たゆまぬ努力と根性と苦悩だと思うのです。僕も仕事で努力したので、今の会社にいるんだと思いますし。いつでも考える。「ポジティブ思考」って、ただの能天気な馬鹿です。バブル期に、こういった自己啓発が流行った気がするけれど、それが今でもあるんですかねぇ。

カミは豊かな恵みを与えてくれる存在であると同時に、逆らえば恐ろしい災難を及ぼす「魔」、「鬼」にもなる。カミの二面性を認めるのが古代日本人の精霊信仰の本質でもあった。このあたりが西洋的な善悪の分別、天使と悪魔の決定的な分離の考え方とは異なっている。日本の「魔」は怒らせると鬼になって祟られるが、きちんと祀れば恵みと救いを与えてくれるカミでもあるのだ。

そうそう、井戸神様とかもちゃんといるし釜戸の神様もいるわけで正月にはちゃんとやって下さいよ。井戸を勝手に埋めると祟られてしまう家とかありますからね。迷信じゃないっすよ。実家がある人は、ちゃんとやって下さいね。ブッダは、こういうことも理解して悟りを説いた人ですから、そういう精霊信仰も粗末にしたらいけませんぜ。だから、空海さん的な密教ってのは、意外といいんですよね。

宗教的な現象と民衆文化―新霊性運動の広がり
トランスパーソナル心理学への甘くロマンチックな期待は、一つ間違うと神秘思想やオカルトとの親和性を促進し、カルトやニューエイジ系「癒し」の理論武装やキャッチコピーとして利用される懸念がある。(こういったリストで網羅されている⇒)それに加えて、セラピーやセミナーを受ければ、誰でもがお手軽に短期間のうちに自己超越体験を得たり、「本当の自分」を見つけることができるのだ、という幻想を抱かせる可能性もある。

ここで、いわゆるニューエイジ,精神世界の問題について述べておきたい。1970年代以降、それまでになかったような宗教運動が登場してきた。新霊性運動である。新霊性運動とは、類似した宗教的信念をもつ人々からなる、漠然とした集合体を意味する。
《中略》
わが国では、ニューエイジという言葉よりも「精神世界」の方がポピュラーになっている。その領域は広く、クリシュナムルティ、バグワン・ラジニーシ、ルドルフ・シュタイナー、ニューサイエンス、トランスパーソナル、シャーマニズム、チャネリング、気功、レイキ、東洋医学、その他ヒーリング、セラピー文化、自己啓発セミナーなども含まれる。
偽りの霊性
しかし、新霊性運動は、「真の霊性」に人々を導くものだと言えるであろうか。トランスパーソナル学者のバティスタは1970年代以降のニューエイジ運動の出現によって、自分の心の問題をすり替え、置き換えようとして、その考えや実践を誤用する人々が増えてきたと述べている。彼はこれを「偽りの霊性」 と呼んでいる。バティスタの言う偽りの霊性には、霊的防御と攻撃的霊性があげられる。

霊的防衛とは、われわれの「あるがまま」の自己表現を妨げる霊的な信念を指す。たとえば、ヒンドュー教、仏教、キリスト教の信者は、人間関係において怒りを表現したり、自己主張したりしないことがある。

嘘の自分というやつですよ。スピ系の本を読み込んでいる人は嘘の自分を創りあげているのを気づかない。我慢ばかりしている。ワンネス講座とか霊訓の危ない面は、宗教と同じで仲間だと思うと親しくしてくるが、違う意見を言うと、とても排他的な行動を取り、無視もする。良い子ちゃんぶった人が、かなり多いです。それを言っているのかな。

それは、自分がそのようなことをするのが宗教の教えに反すると信じているためである。ところが、これは反面、その人が腹の底にもつ不快感を否定し、自虐的な姿勢を維持させることにもつながる可能性がある。霊的防衛が、自分の本音を否認し、抑圧する根拠になっているのである。これはその人の苦悩を肯定的な方向に変容させるのではなく、むしろ長引かせることにはならないだろうか。

わが国でも長引く不況からか、ビジネスマンの間にも「プラス思考」、「ポジティブ・シンキング」という言葉が流行っている。これも元を正せば、一種のニューエイジ思想からきている。 しかし、このプラス思考というイメージ操作法も、下手をすれば霊的防衛と同じく、何の解決にもならない場合がある。

そうそう、だから先日も中田英寿が子供たちにアドバイスをする様子を記事にしたけれど、中田英寿は須藤元気と違いは、ポジティブ思考なんて言葉を使ったことがないところ。いつも常に考えている。最近の須藤君はダメだ。


自分が苦境や悩みの真っただ中にあって、にっちもさっちもいかない。上司からガミガミ叱られたり、つぎつぎと山のような仕事を押しつけられて、いたたまれない気持ちになって、落ち込んだりする。そういうときでも、「いや、これは自分に課せられた試練なのだ。私は絶対に成功する。この壁を乗り越えた先には、輝かしい未来が開けてくるにちがいない」とお題目のように心の中で言い聞かせたりする。しかし、一向に光は見えず、失敗を繰り返す人もいる。

そうそう、だからヒデを見習おうかスピな人たちといっつも言ってるんですよ。スピの本を読むのは止そうと! 実際、僕は読んでいないんですが…なにか!!! かなり訣別意識を持っております。


闇雲にプラス思考をしたところで、失敗の原因を合理的に分析し、適切な対策を講じなければ何も事態は変化しない。現実否認のためのプラス思考は百害あって一利なしである。自分の腹の底にある悪感情に気づき、これを受け入れ、発散させてやらなければ、最後には心身を病んでしまうこともある。自分の心の中にある「悪」、「闇」を封殺するのではなく、これに気づいて現実的な方法で解消してやることも必要なときがある。

これはニューエイジだけの話ではなくて、シルバーバーチ,江原啓之さんなど、他にもスピで有名どころをあげればキリがないと思いますが、とてもこの手の感情を持った人が多いと思います。仲間で固まる精神というのか、団結意識は強いので、「シルバーバーチ読書会」や「神との対話読書会」とか、読書して何になる??と個人的には思っております。熱い「シルバーバーチ討論会」「神との対話討論会」の方が、まだ学びはあるかも。「ここ、おかしいじゃん!」とか言える環境が、彼らには不足しているかも。村八分意識も働いているというしね。


霊的防衛のパターンには、他にも次のようなものがある。
1.権威に絶対的に服従することが、人を愛し、霊的に謙虚になることだと合理化してしまうこと。

これは集団の中の権威者の顔色ばかり気にして、リーダーに気に入られようと取り入ったり、組織の大義名分を盲目的に受け入れ、操り人形のように振る舞うカルトのメンバーを想像してみればよくわかる。それがときとして、殺人すら肯定し、集団暴走につながることもある。

ニューエイジの愛のチャネリング系の本、あと霊訓の本を読んでいる人たちに多いパターンだと思います。彼、彼女らにしてみれば、それらのメッセージが絶対だと思い込んでいるわけですから、軽カルトといっておかしくはありません。霊訓では「輸血はダメ」と書いてあって、最盛期には輸血拒否で死亡した人がいたとか…。ヤバイよね、だから江原啓之さんが頑張ってイギリスからの霊訓シリーズを弱体化しようとしているんです。僕も弱体化できればと願っているんです。黒が依りついた霊訓は、危ない。
もう僕なんてね、反発しまくりで、ダスカロスのことでも本音のやり取りできる人とメールしていると、とても批判的ですよ。かなり熱いやり取りしたりしてます。ダスカロスにダメ出ししてたりします(笑)。

2.「神は、私が必要とするすべてを与えてくれる真の源泉である」という言葉で合理化されてはいるが、実際は人に自分の世話を頼んだり、世話をしてもらうことができない状態。

困ったときに人からの助けを要請できないのは、対人関係能力の欠如と見なすことができる。霊的な成長はともかく、人と上手に関わること、そして対人的に成長することも心の発達の一つの要件である。

どんな人とでも人間関係よね。これだけもOKなんじゃないかと。スピリチュアルを全く知らない人に、かなりレベルの高い人がいたりもするんだわ、これがまた。

3.禁欲的実践として合理化されているが、実際は対人的、性的な欲求を扱えない状態。

これは欲求不満を高め、逆に攻撃性を増大させる危険性がある。人間も動物の一種であり、自然の摂理に従って生きている。生存に関する生理的な欲求や人間関係に関わる社会的な欲求を自然な形で満たして楽しんだり、喜んだりすることも重要である。

大きな声では言えないし、レディたちが読んでいるので、縮小傾向で書くけれど「性はそれなりに(♀)とおこなっております(笑)」「好きにならないと行いません…」「商売人とも行いませんが…(汗・笑)」。こういう男になってみたいものです。「○○○○公爵…」すごいわな。まあ、やってますよ、同じようなこと。

4.「霊性がすべてに作用する=人生は霊的レッスンである」と合理化して、生物学的、心理的、対人的な次元の問題に向き合わず、それに対処できないこと。

現実と向き合い、日常性の中で人として自然に生きてくことがまず優先されるべきである。人は霞(かすみ)を食べては生きられないし、愛情や友情など、他者と関わることで悦びや楽しみを見いだす。人は自分の存在価値を認められ、誇りとプライドをもつことで生き生きしてくる。霊的な生活のみを優先するあまり、魂の全体的な発達を見失うことは真の霊性開発には逆行するのではないだろうか。

この話では分からないだろうけど、だからダスカロスの生き方は、とても見本になると思って推薦しているんです。ダスカロスは離婚して再婚歴があって、2人の息子と孫たちがいて、ちゃんと公務員として仕事をして、老後に趣味で絵を描きながら生活していたから、普通の人というわけです。


もう一つの偽りの霊性、すなわち攻撃的霊性とは、他者を束縛し、自分を支持するようにしむける手段として、自分が「霊的に発達している」と主張することを指している。そのような行動は、脅かされ、傷つきそうな自分を支えようと自己愛的に機能する。それゆえ、攻撃的霊性は、じつは欠乏感や無価値感、他者から拒絶されることの恐れを含み、ひいては、否認された「本当の自分」との接触を避ける結果になっている。

あの人のことかな!


要するに、攻撃的霊性とは、ナルシシズムが増長し、自分は霊的に進化していると信じて疑わない慢心のことである。 あるいは「どうしてみんな、私のすばらしさをわかってくれないの」という被害者意識も含んでいる。

このようなナルシシズムも、じつはニューエイジ・精神世界系の人間に蔓延している。トランスパーソナル心理学の旗手の一人、ケン・ウィルバー も、基本的にはニューエイジ(精神世界)の住人を、自我確立以前の「前個的」な自己愛症候群、誇張、万能感にとらわれている、と厳しく批判している。その矛盾は、特にニューエイジャー系のセミナー、ワークショップの指導者に向けられている

みんなナルシーなんですよ。霊訓を読んでいる多くの人たちは、そのほとんどがナルシーなんですよ。この言葉が絶対だよ、これを読みなさいよ。これ知らなければ救われないよ、という感じかな。
バシャールを読んでいる、チャネリング本を読んでいる、霊訓を知っている、宇宙人を信じているなどなど、これらの人たちは、僕らを見下す傾向があるんですが、見下されて結構!という気概がいつもあります。「お馬鹿ですが、それが何か?」と言ってやります。


トランスパーソナルとは、個人がただ単に埋没し、世界、宇宙と一体化するのではなく、自分らしさや自我を明確に確立することが前提となって初めて、自分を超越することができると主張しているのである。これが日本では特に認識が不足している部分であり、トランスパーソナルをニューエイジ(精神世界)の理論的支柱であるといまだに誤解している人も多い。

前個的状態(プレパーソナル)超個的状態(トランスパーソナル)は個的意識を挟んで対極に位置し、明確に区別されるが、一見すると両者とも全体性に結びつくため、混同されやすい。ウィルバーはそれを「前・超の虚偽」と呼び、現代におけるもっとも危険な兆候とみなしている。ウィルバーの警鐘は、アメリカを中心に先進諸国で急速に勢いを増しているニューエイジ(精神世界)などの新霊性運動に向けられて鳴らされている。ニューエイジ(精神世界)は、前個的状態を超個的状態、霊性の向上であると誤認する過ちを犯しているというのである。

この考え方は、ニューエイジにはまっていたハラランボス氏も、ダスカロスが教えていた「教え」に触れて反省していることと同じだと思う。「自分らしさや自我を明確に確立する」ことをダスカロスも言っている気がするのだが、インドのワンネスディクシャ,ニューエイジ,チャネリング,神との一体化,宇宙意識などと混同している気がしてならない。僕はデザイナーですから、個性出さないとやっていけないので、このような人間になっていますが(笑)。個性命!


ここで忘れてほしくないことは、ニューエイジ(精神世界)とトランスパーソナルはもはや別のものである、 という点である。トランスパーソナルはもはや別のものである、という点である。
《中略》
学生運動、LSD文化、東洋思想の流入と結びつき、トランスパーソナルは誕生した。その揺籃期には大衆文化としてニューエイジ運動(新霊性運動)との蜜月もあった。しかし、ウィルバーやグロフなどによるトランスパーソナルの理論的洗練に伴なって、次第にニューエイジの唱えるような現実否認的、自己愛増長的なスローガンとは一線を画すようになった。

たしかにそういう歴史があるようです。


たとえば、霊性開発のプログラムには、自我喪失の危険が伴う。内向的、弱気で、自信がなく、人と関わることを嫌い、自分の殻にとじこもりがちな人ほど、逆に自分を失ってしまう。このような人が霊性を掘り起こそうとすると、幻覚や妄想に支配されて、現実と空想との区別がつかなくなり、ときとして精神を病んでしまう。自己啓発セミナーや霊性開発のワークショップを主催する人は、このことを十分認識しているのだろうか。

チャネリングやハイヤーセルフに心惹かれる、心に隙間のある奥様がた、女性の皆さんご注意を! 恋人作ってラブラブしている子の方が健康的でっせ。


瞑想による自己浄化の試みにしても同様である。自分自身を客観的に自覚し、自らの目指そうとする理想的な状態と現実の状態とのズレを修正しようとする試みは、自己嫌悪感との戦いの連続である。瞑想による習慣づけは一時的に浄化作用をもたらし、深く平安な感覚を得られる場合もあるが、その感覚を日常生活において維持することは難しい。

脳波コントロール瞑想で「シータ波」が出ようが、それを持続することは難しいということ。これらが大切かもね。中田英寿のアドバイス内観のススメ自己観察です。


カルトやオカルト 、そしてニューエイジ(精神世界)へ向かう人々は、多かれ少なかれ、これまでの自分や今の自分に不安やとまどいを覚え、一時的にせよ自信を失ったり、社会的に不適応に陥っている。したがって、彼らがカルトの信念体系やニューエイジ的な世界観に呑み込まれた結果、子ども返りの状態に陥り、トランスパーソナルはおろか自我の確立もできなくなりかねない。

また、セラピーやセミナー、ワークショップ、そして修行を支援し、導く指導者の資質・能力も問われる。来談者や求道者が霊性覚醒のプロセスにおける危機の状態、すなわち「超正常な状態」にあるか、無意識の衝動やコンプレックスに振り回されているだけの前個的状態にあるかを見きわめて、適切な介入と助言のできる熟達した指導者に出会う必要もある。さもなくば、妄想だけが膨らんで、自滅することは必至である。 このようなリスクが伴うことを念頭に置いて、霊性開発への道を歩んでいく覚悟が求められる。

『呪いの研究』より
呪いの研究-拡張する意識と霊性
呪いの研究-拡張する意識と霊性中村 雅彦

おすすめ平均
stars呪いから逆照射した神仏の鏡智
starsあらゆる角度から呪術の本質に分け入ろうとした優れた研究書
stars祈祷師の世界の裏側がよくわかりました!!
stars捉えておかなければならない一面
stars呪いは実在する

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どうでしたでしょうか。この本は凝縮されているので、かなり知的で冷静な判断をもった人でないと受け入れることができないのではないでしょうか。そこでです、あるリストを紹介しますが、このリストは、かなり良いと思いましたので紹介しておきます。
参考書籍
ニューエイジ(精神世界)から離れてみませんか? でも、僕は心理学を勉強しているわけではありません。
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2008.10.25 Saturday | Category[2]スピリチュアル:神道 | comments(3)

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ここでお尋ねしてよいのかわかりませんが、他に尋ねる事ができる人がいませんのですみません。数年前から精神世界の本等読むようになりました。最初の頃、何もわからず、ただ情報が欲しいがために数多くのサイトを拾い読みした日の夜の事。今まで見たこともない様な怖くて許せない内容のドロドロとした夢を見ました。絶対にどこかのサイトから何かを貰ったと感じて、それからは自分が大丈夫と思えるサイトや本だけを選ぶ様に気をつけています。
それ以来、何事もなかったのですが、ダスカロスのプラクティスを実践した夜だけはなぜか又怖い変な夢を見ます。プラクティスやティーチングの本を読んだだけではそんな事はありません。必ず少しでもプラクティスをやってみた時です。私が学ぼうとしているので闇の何かが脅しをかけてきている気がしてなりません。考え過ぎでしょうか?やはり軽い気持ちで踏み込める世界ではありませんね。7つの約束自体とても重いですし。ご意見を伺えたら嬉しいです。
| くまさん | 2008/10/28 1:52 PM |
どうも、くまさん。

挨拶のない初コメントの方には基本的に返信しないようにしているのですが、文章の内容から返信することにしました。ネットの世界でも、一応は人と人のコミュニケーションなので、どこのサイトやブログでも、コメントを残す時は、挨拶からはじめてもらえると相手共に心地よく話が出来ると思います。

で、返信ですね。

人それぞれ感性が違いますから、一概に「ドロドロ」といわれている夢やヴィジョンで善悪はつけられない、と思っているのがわたしの持論です。

たとえば、わたしも怖い夢を見ます。父子2人で住んでいた小屋を3人の刺客に襲撃に遭い戦わなくてはならない夢。これは確実に負けるだろうな、と私の意識が入っている少年を見ながら感じました。つい最近は、第二次かわからない戦争の戦地へ送られ、基地に着いた途端、負けるのがわかっている前線へ突然送られる夢。私の場合は、どちらも戦い。戦争。負け戦でした。とても嫌な夢です。私としたら「ドロドロ」ですか。

もしかしたら、闇の“何か”の正体が、くまさんのドロドロした意識だったらどうでしょうか。「闇」といって人のせいにするのは簡単なので、私はいつも自分の内側を見つめることにしています。もしかしたら、そのドロドロは自分の無意識化にある“気づかないといけないダメな面”か“何か”かもしれないと見つめています。

それが出てくるということは、プラクティスには効き目があるかもしれないと再認識させられました。ありがとうございます。でも、もし、そのドロドロに自分の精神が負けそうならば離れるのが良いと思います。精神の弱い人がやると、どんなものでも危険だと思いますし、それが抑うつ状態を招くかもしれません。

「7つの約束」は、重いかな? そうは感じませんが、相当根性ある人じゃないと、あれを完遂するのは難しいですね。わたしもいまだに完遂なんてできていませんが道徳的人生の歩み方だとも理解しています。

それとわたしは専門家じゃないので、この記事で紹介した本「呪いの研究」に、くまさんが遭われたような夢を何でみるのかとかも詳しく書かれていたと思います。その辺りを読まれましたか。ヒントが書かれていたと思うんですよ。
| テル‐テルさん | 2008/10/28 6:36 PM |
テル-テルさま

改めて初めまして。くまです。
昨日のメールでは大変失礼しました。
掲示板のノリで書き込んでしまい、お恥ずかしいかぎりです。
にもかかわらず、ご丁寧な返信を有難うございました。

自分の内のドロドロしたものが表面化、にはハッとさせられました。
一方的に決めつけず、あらゆる角度からアプローチする事を頭ではわかっているのに実践は出来ていなかった様です。
サイトを色々回った時と、ダスカロスのプラクティスに初めて挑戦した時の夢は、確かに他からの何かを感じるのですが、それ以降の夢は自分の思い込みや無意識の恐れ等で私自身がそれを更に大きなモンスターに仕立てあげたのかもしれません。

「呪いの研究」もぜひ読んでみます。

7つの約束、は私自身をすべて絶対なる存在にゆだねる様で、そうなるとフィンドボーンのアイリーンの自叙伝を思い出してしまい、あんな過酷な人生を送るのは私には無理だと思ってしまいます。でも自分の出来る範囲で、少しずつでも必ず前進したいと思っています。

こちらのブログは私が信じているダスカロスとヨガナンダの本を推薦されていたので、
時々拝見しています。精神世界に詳しいテルテルさんには、お尋ねしたみたい事だらけです。よろしければ又質問させて下さい。どうも有難うございました。
| くまさん | 2008/10/29 4:08 PM |










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