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【重要】〈ダスカロス〉は学ぶものではない
当ブログではキリスト教アテシュリス派(異端)を作ろうと思ってオススメしている訳ではないことを、あらかじめ本音として書いておきます。

個人的見解ですが、ダスカロスという人を尊敬、慕うことはあっても、彼を信仰しても仕方ないと感じます。それは、どんな人にも当てはまります。シルバーバーチ,伊勢白山道さん,江原啓之さんを信仰しても仕方ない、などなど。正常(清浄)な心を持った方なら十分理解できると思います。

ダスカロスの主張をすべて疑いもなく受け入れることは〈盲信 ⇒ 信者〉となってしまい、 狂信者を育てるだけの新興宗教、教祖ダスカロス導師ダスカロス を作り上げてしまうことでしょう。 彼は「導師ではない」と口を酸っぱくするほどインタビューなどでも語っています。「ブラザー・ガイド」なのだと。この言葉や肩書には、とても拘りを持っているように思います。
ここからは少し余談ですが。先日、“ダスカロスの弟子”と名乗る方からコメントを頂きました。私なりに、その方のコメントを真面目に約一週間、考察や他の先輩のアドバイスを頂いた上で、それについて話します。

第1番目の問題点。もしも、あなたの前に「私はダスカロスの弟子」だと、自ら名乗るような人が現れたら気をつけてください。どこの世の中にも勘違いする人はいます。ダスカロスは、そういう人物を“いっちばん”嫌うと思うんです。他称と自称の違いです。

「彼はダスカロスの弟子です」
「私はダスカロスの弟子です」

どうでしょうか。他称と自称の違いですよ。わかりますか。この部分を勘違いしている人がいるようです。

話を先に進めましょう。

はじめまして。
たまたま、Google検索で、このホームページを拝見いたしました。
私は2001年からダスカロスを学んでいます。 

こういった書き出しです。

「私は2001年からダスカロスを学んでいます。」
メッセンジャー ストロボロスの賢者への道これには言葉の打ち損ねもあると思いますが、適当なものではないと先輩が話していました。「ダスカロスの教えたエソテリック・ティーチングを学び、それらについて、スピリチュアルや精神世界など、他の分野でも幅広く学んでいます」と言うことはあっても、「ダスカロスを学ぶ」というのは〈ダスカロス=先生〉ですから、言語的にも確かにおかしい。「先生を学ぶ」、アイドル化した「ダスカロス・オタク」という意味ならば理解できる「メッセンジャー」に書かれているダスカロスを知り尽くしていると。単語一つの理解力も探究には必要なことらしいです。

ハラランボスさん、翻訳家・二人の鈴木さんの知人です。
エレブナ関係にも知人がいます。

素晴らしい人ならば、「ハラランボスさんと知り合いだ」「訳者の鈴木さんと知り合いだ」「エレヴナに知り合いがいる」など、名前をあからさまに出すことはしないと思います。その名前を出すことによって、それらの方に迷惑が掛かることも考えましょう。そんなあからさまに名前をメールでもコメントでも話すような人は、一人もいないです。自分に箔(はく)を付けるようなことはしません。

いろいろな分野を探究している人とメールでやり取りすることがあるのですが、今まで探究者の中で、そんな人に出会ったことがありません。皆、とても心が広く到らない私の疑問や質問に熱心に耳を傾けてくださる人がほとんどです。もし私が「或る権威者と知り合いだ」と言うような人に出会ったら、その言葉を聞いただけで「あっ、こいつダメだわさぁ〜」と思ってしまい、長く学んでいる先輩だとしても信用に値しない人格なのだと感じます。

失礼ですが、2ちゃんねるよりも、
あなたのこのblogでのいいかげんな発言が、一番迷惑なのですが…。

この文面には、あからさまに人間性の欠如が見られると思い、とてもマズイコメントだと思います。どこかの掲示板で教師をされているので迷惑なのでしょうか。初対面の人に対するコメントでもありません。これはスルーします。
 

ダスカロスの弟子になりたいならば、
ダスカロスの弟子だ、彼は素晴らしい、というような誇張をするのは、やめたほうが良いと思います。

「弟子かどうかなど興味ないんですけど…」 と正直思いました。弟子に拘る必要もないということです。

私の立場です。人が何と思おうと勝手ですが「私が弟子を自称することはありません」、ただの探究者で、テーラワーダ仏教徒の立場と同じです。 「ダスカロスの弟子」を自称するような人は、人として問題があると思います。「メッセンジャー・シリーズ」にも書いてありますが、ダスカロスを愛するあまり、彼の活動を妨害し他人に非情な手段を使う狂信者の話などが書かれています。参考になれば幸いです。

「イエス・キリストは素晴らしい」
「お釈迦さまは素晴らしい」
「中田英寿は黄金の右足でスルーパスを決める!!」
「彼は素晴らしすぎる、神のようだ、彼は王のようだ!!」


人としての感情を文面に込めるのは大切なことだと思います。それを「誇張」と取るのは、一人ひとりの感性の違いだと思います。

私が元々所属していたダスカロスのサークルでは、
他者にダスカロスの教えを勧めるのは禁止されているのです。

「恐らく、鈴木さんとキキスさんつながりの方でしょうから、キキスさんのサークルで一時期学んでいた人でしょうね。何かサークルで問題を起こした人かもしれません。ダスカロスの弟子になりたいのは、この方自身なのかもしれないです」とアドバイスを頂きました。ハラランボスさんは「勧誘はダメ」「推薦はOK」だと思います。新興宗教にしないためですかね。

東方正教会何度も書きますが「ダスカロスの教え」ではなく、ダスカロスが教えた「教え」「エソテリック・ティーチング」です。たまに僕も書き間違えるのですが(笑)。これを勧めるのを禁止しているのはキキスさんのサークルらしいです。しかし、それは「勧誘禁止」という、新興宗教とならないためのものかもしれません、キプロス正教が絶対的な土地柄らしいですから。その活動が大きくなると、キキスさん自体が、あまり良くない立場にされてしまうかもしれないと。簡単に言えば、「キプロス正教に反する教えをしている異端者」となってしまう、日本とは訳が違いそうです。かなり厳しいのでは。

日本のダスカロスのサークルでは、推薦書を紹介していると思います。 また『エソテリック・ティーチング』の初めの言葉に、ダスカロス自身の願いが書かれていますよね。いろいろな人に読んでもらいたいと、読み取れます。

聖書を読むことを否定する、正教会の僧侶がいますか?
僧侶は本を読みたい人に手渡すことでしょう。
それと同じで、ダスカロスの本を読みたい人に「買って下さい」
という行為に何が問題なんでしょうか?
シルバーバーチの本をお薦めする行為と変化がありません。
いかがでしょうか?
宗教団体の教祖さまであれば、べつですけど・・・。


ダスカロスは、チャネリングを否定していません。
ダスカロス自身が、ヨハナン(聖ヨハネ)の霊媒だったわけですし。

エソテリック・ティーチング―キリストの内なる智恵 秘儀的な教えこれは明らかにマルキデス氏の書き方を、そのまま受け入れた読み方の相違だと思います。私の立場は、マルキデス氏の本を全て真に受けてはいません。マルキデス氏信者とならないためです。

ですから、ダスカロスは、チャネリングを否定しているんではないかと感じます。これはサークルの方も仰っていました。なぜならば、チャネリングでは、身体を乗っ取られ何でも話されてしまい、 こうなってしまうからです(この人は演技かもしれないので、吉本新喜劇を見る感覚で冷笑して見ています。悪気はないかもね・笑)。チャネリングを否定しているため守護大天使(神霊,主導霊など名称はさまざま)とつながることアチューンメントを話しているのではないでしょうか。明確な意識を保ちながら、守護大天使の意識を読み、それを自分の言葉として伝える。

世のチャネラーは、神憑りの間は、ほとんど記憶や意識がないといわれているらしいです。チャネリングを、どういう形態として個人個人が理解しているかが問題だと思います。「神憑り,降霊,イタコ,口寄せ=チャネリング」 だと理解してます。間違えていたらゴメンナサイ。

しかし、こういった言論闘争は宗教戦争にもなりますし、ダスカロスの弟子さんの意見も、それはそれで良いと思います。皆がみんな主張が違って健康的ですしね。でも、たぶん、こんな話をしても意味はないでしょうね。書いていて思いました。何の意味もないやり取りです。スピリチュアル・ゴシップ会話です。

話は逸れてしまいましたが。
なので、できるだけ、悪ガキになって先生を困らせる疑問を持ってみると、先生は嬉しがるものだとスマナサーラさんも話していますし、僕もそうしています。その先生は、もう形としては現実世界にはいませんから、その疑問を一人ひとり〈思惟、研究、探究する〉ことが大切だと感じています。

聖書―旧約・新約例えば、マルキデス氏の書いた『メッセンジャー 永遠の炎』では、ダスカロスが話した言葉として「預言は無い」ということが語られています。しかし、これは僕の見解ですが、「そうでしょうか?」と思います。「ダスカレ、私の国、日本では巫女さんが何年も前に預言したことが現実化した事例が結構あるんですが、どう感じますか?」と質問すると思います。「我が国の預言者(巫女)の預言は、かなりな確率で、その通りになったりもします。これは確率の問題でも相当なのですが」とかね(笑)。ダスカロスが大切にしていた聖書の教えも、数々の預言者の預言が述べられている書物だとも言われていますから、これは捨て置けない話です。ダスカロスはイエスの教えを大切にしていたのだから、預言者イエスを大切にしていると思いますし、旧約聖書も大切ですよね。その点でフェデリコ・バルバロさんの『聖書 旧約・新約』は、解説文も文体も読みやすく、内容が濃いですね。

人生論 (角川文庫) そこでです。ダスカロスが伝えた「エソテリック・ティーチング」とは、何だったのか。これも私の見解ですが。それは、恐らく彼自身の魂(SPIRIT)〈意識〉の集大成を書き残したのだと思います。トルストイの『人生論』『人はなんで生きるか』に近いかもしれません。なので、浮き足立った理論は書かれていません。人は、どう生きたら良いのか。真理とは、とか。彼は探究者の一人だったのだろうと思います。なので、次がある場合は、それ以上の魂(SPIRIT)〈意識〉を持った人として、更なる探究をするかもしれません。もしかしたら、ダスカロスの分霊を宿した人が既に世界のどこかにひっそりといるかもしれません。

トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇 (岩波文庫) 「エソテリック・ティーチング」とは、ダスカロスの教えではありません。 その教えはどこから来たのか。イエス(ジョシュア・イマヌエル)といわれていますが、それは本当なのか。イエスは、どこの宗教、どこの民族、思想体系に生まれた人だったのでしょう。宗教学者などの話では「ユダヤ教エッセネ派」というグループにイエスは居たらしい。それらを調べてみなければ、ダスカロスの間違いなどにも気づくことが出来ず意味がなくなってしまいます。イスラエル哲学というやつですね。これを私は大切だと感じました。

ダスカロスは、すごいことを書き残し、証明はできないけれども、身を持って証明してくれたように思います。それは、これです。

「SPIRIT-EGO-BEING」

これについて、何週間も思惟しました。これが画期的で偉大過ぎる理論です。この理論が「おっ、もしかして…」と思うと、その他の教えを学んだ方が良いと感じます。ダスカロスを離れ、何か自分自身の興味のある探究とか。なので、私個人の話ですが。今は、ダスカロスの伝えた「エソテリック・ティーチング」からもスピリチュアル本からも離れ、ある探究をしています。 離れて得た知識を、どう総合してまとめるか、それも大切なことだと感じているからです。

「SPIRIT-EGO-BEING」の画期的なところは、例えば、覚者(導師:グル)が講話するときの話を理論的に精査できるものだと思います。覚者といわれている人が講話で使う

「I AM THAT I AM」

についてです。

私は、彼らの話を「?」としか感じません。訳語がマズイのか、その覚者がマズイのかわかりませんが。インドの導師たちは、「私はある」「私はあるのだ」、と良く言うんですが…。これが詭弁論にしか聞こえないんです。 詳しいことは、インドの導師や覚者の詭弁の解読として。これは『スピリチュアルな「優る師」か「劣る師」か?』でも書きました。頭で感じたこと(ヴィジョン)を言葉で書くことができないので、何となくしか書いていません。

転生―古代エジプトから甦った女考古学者「SPIRIT-EGO-BEING」この理論と証明、これだけで十分でした。これに裏打ちを与えてくれたのが、まったく関わりも無い 『転生‐古代エジプトから甦った女考古学者』というノンフィクション著書でした。それにキプロスにお住まいの方からのギリシャ語としてのアドバイスでした。これら関連のないものでの「点」があり、それが結ばれて「線」になって、やっと、理解できたのです。

「エソテリック・ティーチング」を研究しても意味は無いと感じました。一分野だけ読み込んでも何も分からないかもしれません。幅広い分野で経験や体験をして気づける書物だと感じています。「スピリチュアル本から離れる」というのは、そういう意味で私は使っています。


背景アーティストの仕事でテクスチャに拘っていたとき「〈神は細部に宿る〉けど、〈木を見て森を見ず〉にならないようにフィールド作ってね」と。背景リーダーに言われていたアドバイスの一つです。

こういう世界観のソフト、うちでも作らないかなぁ〜!!
最後の最後で話を逸らせて終わり、チャンチャン。
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スピリチュアルな想いを形に
2008.10.18 Saturday | Category[4]霊的偉人:ダスカロス | comments(3)

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2019.09.01 Sunday | Category- | -

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岩田さんへ

あの方たちもスピリチュアリズムを衰退させてはいけないと思って行っていたのだと思うので、一応は霊媒行為だといわれています。ただ、僕の個人的見解ですけど、やっぱり時代を感じさせる話が含まれているように思います。
| テル‐テルさん | 2008/10/18 9:08 PM |
『メッセンジャー』の1部・3部を読んでみました。私は輪廻転生については判断つきかねますが、ダスカロスの神学的世界、とくに最終的には人は神に帰一するというビジョンに深い感銘を受けました。元々精神世界一般には懐疑的な者なので、テルテル様のサイトに出会わなかったならば私は一生ダスカロスとはご縁がなかったかもしれません。今日のエントリーにある文庫クセジュの『東方正教会』も読んでみようと思います。良書を紹介していただきありがとうございます。

>今は、ダスカロスの伝えた「エソテリック・ティーチング」からもスピリチュアル本からも離れ、ある探究をしています。 離れて得た知識を、どう総合してまとめるか、それも大切なことだと感じているからです。

その「ある探究」というのはなんでしょうか。いつか記事にして頂ける日を楽しみにしております。

| #さん | 2008/10/19 7:08 PM |
#さんへ

どうも#さん。2部は飛ばして読まれたんですね。「転生」は、判断はつかないものですが。僕の場合は、それが薄い形で提供された感がありますが、それは一人一人の感じ方の相違かもしれませんよね。「エソテリック・ティーチング」の部分も神学的かもしれません。

ある探究ですか。いや、たいしたものではないのですが書くだけ意味がないので、書く気になったら書くかもしれませんが起承転結で書くのが苦手なのでバラッバラの記事で細切れで書くかもしれませんです。ハイ。
| テル‐テルさん | 2008/10/19 10:47 PM |










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