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ダスカロスの「エレメンタル」と神道の「気魂」
ヨガと神道ダスカロスの体系で「エレメンタル」と表現されているものを日本人の精神体系に置き換えられないものかと常々思っていました。ひょんな書物から見つかるものですね。見つけようと努力していない時に見つかるものです。

みなさんは日本人として生まれ神社にも一回くらいは詣でた経験があると思いますから、その神道(日本道)のなかにないかと思っていました。神道には祭神(さいじん)はいますが無教祖ですから、ダスカロスの理念と一緒。そして「無宗教」を誇る現代的日本人にも馴染み深いと思います。

神社の「祭神」をキリスト教に当てはめるとしたら、「聖人」とでもしましょう。実際に「祭神」とは紀元前(B.C.)に日本にいた私たちの先祖の部族長たちです。想像できない人のために紀元後(A.D.)ですが、中国の祭神クラスの人を画像で紹介しておきます。
こんな感じの人が神社でいう祭神クラスの人たちです。ちなみにこれは金城さん演ずる諸葛亮です。諸葛亮は占星術や呪術師のようなこともしています。まさに大頭目「命、尊(ミコト)」の一人です。ちなみに族長を「上(カミ)」⇒「神」(中国から“神”の字が伝わり当てた字、当時の意味は“聖なる者”というものだそうだ)と呼んだそうです。

では、本題『ダスカロスの「エレメンタル」と神道の「気魂」』です。
もし指先から、その強いプラーナを受けたとしたら、肘関節のあたりまで流れ込み、それを放出している術者の気息(呼吸)に合わせて脈打つように流れてくるものである。そのことは一面、プラーナとは気息の波長と一致していることである。それはプラーナを訳するのに“生気”とも“気息”とも訳し、またプラナヤーマを“調息”と訳していることに深い意味を感じ取らねばなるまい。

そして気息が、体内でエネルギーとして働き、更に体外に放流されるときは、超物質的存在として流れるということであり、その働きを「素粒子論理的言い方」をすれば、それは微粒子の大波状流であるということになる。

この極微の超波動粒子には、それ自体、善も悪もなく、無明から発する煩悩と結合して、悪微粒子として、空間に漂うことになるのである。それゆえにこそ、敏感な神秘経験者(霊感者)は、不浄の邪気を、具体的に粘着性のある重い波動として感受するのである。
ダスカロスの言う“エレメンタル”の概念とまったく同じ

だから、無明を説明するに、現今の素粒子学の用語が古代インドに存在しなかったということを悲しむべきであって、行者たちは、口伝と行法によって、その言うところの意味は常識化していたのである。

それゆえにこそ、神秘体験の保持者たちは、不浄を感受したとたんに、腹痛を起こしたり下痢を起こしたりするのである。

それは不浄の邪気(不浄の煩悩と結合したプラーナ)が、超物質的とはいえ物質的存在であるから、それを感受した人は体内のプラーナを汚すので、その自衛手段として下痢を起こすのである。これは自己浄化である。神道の禊祓(みそぎはらえ)については拙著「神道の現代的解義」第四編第二章の三<神道の禊>に詳述している。それを再掲すると
「イザナギノミコトは天啓を受けられて一切の汚れと罪を禊祓われたのである。その際、全身細胞の一片、また体内に複数で存在する異次元体たる種々の体、つまり“アストラル体またはメンタル体、エーテル体など”まで清めつくされたのである。よって悪霊や超物質的汚物まで洗い流されたのである。

人間の迷い心は悪霊(悪気・悪魂)を創造する、その悪霊は汚いものに付着したり、暗い光の無い場所に漂いついて存在するのである。悪霊が生物のごとく錯覚される、このサタン存在思想は、あたかもレコードのテープのごとく、空間の超物質にレコードされるからである。そのレコードを再生するものは、同波長の人間である。」
【私的感想】 お馴染みになり始めている「波長の法則」でしょうか。ダスカロスもいう「悪いエレメンタルは悪い感情を持っている人間に影響する」ってのと同じですね。

拙著「己貴秘伝」第二部・口伝の部第二章・三の「気魂の神」の条に
「この気魂というものは実体(気迫)を持たないのである。すなわち、人間が思念を凝らしたとき発生するものだからである」
「気魂に、正邪があるのは、このためである。人間の思念には正と邪があるもので、その邪念を凝固させて放射すれば、邪念の気魂が流出する。」
「つまり邪気の多い家とか土地には、この邪気の気魂が渦巻いているのである。しかも、邪気は、死霊となった邪人の霊に憑依したがるものである。」
「気魂には善気によって現出したものもある。この善気の気魂は善人に憑依して働くのである。」
「物体には善悪はない。しかし、邪気が憑(よ)れば邪となり、聖が憑れば聖別される。不浄物(生命活動の無い物)には邪が憑りやすく、清浄な品物には聖は憑りやすいのである。」
「この気魂の存在時間は生命を持たぬ無意識体であるから、放っておけば半永久的に存在する。」
【私的感想】 まさにダスカロス的“エレメンタル論”と同じ。それにしても、山蔭氏がこの内容を1960年代に書いているところに驚かされる。
(76項〜80項参照)

『ヨガと神道』より

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2008.02.17 Sunday | Category[4]霊的偉人:ダスカロス | comments(5)

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テルテルさんお久しぶりです。
ここんとこパソコンの調子が悪く(ウィルスバスターが邪魔していた?)
久しぶりにお邪魔させてもらいました。
じっくり読まないともったいないくらい充実した記事ですね。
ダスカロスと出会って4年目になりますが、知らない話もたくさんだし
テルテルさんの理解度の深さにも驚きです。
| みらくるキッズさん | 2008/02/19 11:00 PM |
どうも、みらくるキッズさん。おひさしぶりです。
そうです、この方は年配の方なので本の内容も少しだけ読みにくいです。
でもじっくり読めば理解できないことはないと思いました。

個人的にキリスト教文化、イエスの教えに馴染みのない自分は
日本人として生活する文化のなかに同じものがないかと感じていまして
神道は生活のなかにすべてを包括できる柔軟なものだと感じてます。

ヨハナンといわれても「はてさて?」と感じてしまうのも自分の感性。
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)のご加護と云われると「なるほど!」と感じる。

こちら方式に変換してみようと思ってます。
“日本人らしさ”を失っては元も子もないですからね。
| テルテルさん | 2008/02/20 6:40 PM |
テルテルさん、お久しぶりです。

テルテルさんはちょうど今日、木曜日のこの時間帯にやっている玉木宏主演のドラマ「鹿男あをによし」は見ておられますか?

この物語は、まさにテルテルさんが記事にされている話と割と関連性があるのではないかと思うのですが、
もし見ておられるのなら、この物語についての記事を書かれても、なかなか面白いと思いますよ!
| Tさん | 2008/02/21 10:58 PM |
どうも、Tさん。お久しぶりです。

いやぁ、本当に久しぶりのコメントですね。もうこちらのブログに訪れていないのかと寂しく思っていました。どうされていましたか。

教えていただいた番組残念ながら見てないです。最近、決まって見る番組は平日は仕事から戻るのが23時頃なので「ワールドビジネスサテライト」、休日は「オーラの泉」「世界ふしぎ発見」「鉄腕DASH」「NHK大河」などなんですよ。

見ていないので関連性がわからないので、もし宜しければTさんが何かサイトかブログされていたら記事にしてもらえませんか。私のブログでも紹介させてください。ブログ持っていましたらブックマークもさせて下さい。
| テルテルさん | 2008/02/22 4:14 PM |
Tさん、WikiのURLどうもです。

しかし、あれだなぁ。今からドラマ観るのもちょっと手遅れ感があり。
再放送でもあれば観てみます。

なにはともあれ、ありがとう!
| テルテルさん | 2008/02/25 12:30 AM |










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