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スピリチュアルな想いを形に
2019.06.02 Sunday | Category- | -

シルバーバーチの語る「自由意志」を深く理解する
シルバーバーチの語る「自由意志」を本当に理解したいならば、これを読んでおくと深い所までゆけると思います。私たちは日本に生まれ育ってきた東洋人です。シルバーバーチは西洋人向けのメッセージだということを理解しておくこと。

なぜ東洋である日本に生まれたのか訳がありそうだと思いませんか?

日本は神道、仏教が融合したヒンドゥーのような柔軟な精神文化。アメリカやイギリスのような西洋精神文化では太刀打ちできない日本独自の精神文化なのを忘れていませんか?

立ち読みのお供に音楽を用意してあります。それをお聴きになりながらでも立ち読みしてくださいませ。音質は良いのでイヤフォン推奨です。
Soul of a Child

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宇宙的な音楽をセレクト!!
質問――
人間の自由意志と、その実存および非実存との関係を説明してください。

世の中にそんなものはない。自由意志などというものはないのだ。それはただの自我(エゴ)の概念にすぎない。そんなものはあり得ない。ただし、私はその反対のこと、あなたは他に依存していて、奴隷なのだと言ってるのでもない。

心(マインド)というのは二律背反をつくる。自分は自由人(自由意志)であるか、あるいは奴隷なのか――両方とも真実ではない。両方とも虚構の概念だ。あなたはいないのだから――とすれば、あなたは奴隷でもあり得ないし、自由人でもあり得ない。なぜならば、そのどちらにしても、あなたが必要だろうからだ。

生というのは広大な相互依存だ。あなたはただ〈全体〉の有機的な一部にすぎない。あなたは分離してはいないのだ。としたら、どうしてあなたが自由でなんかあり得る? だが、私はあなたが自由でないと言っているのでもない。それを心にとめておきなさい。どうしてあなたが自由でなかったり、自由であったりできる?

あなたはいないのだ。あなたなどまったく存在しはしないのだ。宇宙はひとつの広大な相互依存にほかならない。そして、この相互依存こそ〈全体性〉(トータリティー)であり〈神〉なのだ。ところが、自我(エゴ)はどこまでも自分を通そうとする……

こんなことがあったと聞く。
一頭の巨象がある橋を渡っていた。その橋はとても古いもので、すさまじく揺れた。そして、一匹のハエが象の頭に、耳のすぐそばにとまっていた。その彼ら(象とハエ)が通り過ぎたものだから、橋はもう落ちる寸前だった。落ちはしなかったが、寸前だ。渡り終えると、ハエが象にこう言った。「ひぇーっ! 揺らしたなんてもんじゃなかったわね、あたしたち!」ところが、象は耳も貸さない。そこでハエは頭に来た。
「何だっていうのよ? あんた、馬鹿じゃない! あたしの言うことが聞こえないの?」それでも、象は耳を貸さなかった。

〈全体〉は広大だ。われわれなどハエですらない。その対比たるや、実に実に途方もなく大きい。それはハエ対象(ぞう)などというものじゃない。そんなものはお話にもならない。われわれなど無同然だ。それに比べて、〈全体〉はあまりにも大きい。ところが、あなたは必死になって、橋が揺れたのは自分のせいだと言い張る。

ある意味ではハエの方が慎重だ。彼女は「ひぇーっ! 揺らしたなんてもんじゃなかったわね、あたしたち!」と言った。
あたしたち――その方がずっと慎重だ。もしそのハエが人間の心を持っていたとしたら、おそらく彼女は「あたし」と言っただろう。ハエの方が慎重だ。彼女は少なくとも象を考えに入れている。だが、人間ときたら“自由意志”などと言う。人間は〈全体〉さえ考えに入れないのだ。それは完全に除外されてしまっている。人間は「自分」と言う。

だからして、世の中には二種類の哲学が存在してきた。
ひとつは“自由意志”を謳う。だが、この考え方全体が間違っているために、完全に虚構であるために、それにはいくらでも反論できる。事実、反論されてきている。そこで、もう一方はこう言う。
「誰ひとり自由ではない。われわれはただの操り人形にすぎない。そして、その糸はある未知の手に握られており、何であれ〈彼〉の決定したことが起こる。われわれはただの奴隷だ。他の何ものでもない」と。

どちらも間違っている。あなたは奴隷でも自由人でもない。
これはちょっと理解し難(がた)い。あなたが〈全体〉の一部であるのは、あなたがいないからだが、もし自分のことをそれと別々の存在だと思えば、あなたは奴隷のような気がするだろう。
もし自分を〈全体〉の一部として理解すれば、あなたは主人となる。が、〈全体〉の側について主人になるのであって、〈全体〉に反してではない。もし〈全体〉に対立すれば、あなたは奴隷になる。もし川と一緒に流れれば、あなたは主人となる。
あなたは川になりなさい!
もし流れにさかのぼろうとすれば、あなたは奴隷になる。

世の中に自由意志などというものはない。また逆に隷属などというものもない。依存も独立も両方とも誤った言葉なのだ。そんなものは完全に捨てられてしかるべきだ。そんなものは使われるべきじゃない。
これは相互依存だ。
私はあなたの中に存在しているし、あなたは私の中に存在している。それが生のありようなのだ。われわれはお互いどうしの中に存在している。われわれはお互いに相手の中に住まっているのだ。一瞬前、私の中にあった息は、もう出ていってあなたの中に入っている。ほんの一瞬前、私は「これは自分の息だ」と言えた。それが、いまはどこにある? 誰かほかの人の心臓がそれによって脈打っている。

あなたの体の中には血液が流れている。つい数日前まで、それは一本の樹の中を樹液として流れていた。それは果実となり、いまはあなたの体の中を流れている。ふたたび、あなたは大地へ還ってゆくだろう。塵また塵――そしてまた、一本の樹が生えてくるだろう。あなたは肥(こや)しになっている。そして、もう一度その樹は生き生きと成長し、実ができる。そして、あなたの子供たちの子供たちがそれを食べるだろう。あなたも自分の曾(ひい)お祖父さんや曾(ひい)お祖母さんを食べた。あなたは彼らを食べて生きているのだ。

そして、これがどこまでもどこまでも続いてゆく。過去全体が現在によって食べられる。そして、現在全体が未来によって食べられることだろう。生は相互に関係し合っている。
深い相互関係にある。
あなたというのは二本の糸の交点にすぎない。あなたはいないのだ。あなたというのは束の間なる二本の糸の結び目にすぎない。それがわかったとき、あなたは笑う。
本当に大笑いする!
あなたは実に大変な重荷をしょってきたものだ。

イエスが「私についておいで、その荷は軽い」と言うのはそこだ。あなたの荷物はとても重い。あなたの荷物はあなたなのだ。
イエスは言う「私の荷は軽い、それは重さがない」、と。なぜならば、あなたがいなければ、そこには何も重みもないからだ。そうなったら、重力など作用しない。あなたは浮揚し始める。あなたには翼が生えてくる。あなたは飛ぶことができるのだ。

二律背反を落としなさい。独立も、依存も――それらは相互依存している。もし独立しようとすれば、あなたは依存しているような気がするだろう。もし独立しようとなどすれば、あなたは失敗して、欲求不満を感じ、自分が依存しているように思うことだろう。しかし、両方ともおかしいのだ。

ちょっと中を見てごらん。あなたはいない。ただ宇宙線が通過して、クモの巣状のパターンをつくり出しているだけだ。数日間、あなたはここにいて、それから消え失せる。そうしてまた、あなたはここに現われて、ふたたび消え失せるだろう。あなたはどこから来るのか? またどこへ行くのか?
〈全体〉の中へだ!
あなたは休息しに消える。そうしてふたたび、ここに現われる。

春が来る。すると、樹々は花を咲かせ始め、小鳥たちは歌い始める。新しい生命――そうして、それはまたなくなってしまう。すべてが休む。ふたたび、それはやって来るだろう。幾度も幾度も、あなたはここにいたことがある。幾度も幾度も、あなたはここに現われるだろう。しかし、一度理解したら……自分はいないのだ。 〈全体〉が自分を通じて戯れ続けているのだということを一度あなたが理解すれば、それ以上またくり返しくり返し肉体に投げ返される必要はない。そんな必要はない。あなたは目を覚ましている。意識を持っている。もうこの世界に現われる必要もない。あなたは〈全体〉の中に休む。これをモクシャ(解脱)、ニルヴァーナ(涅槃)と呼んできた。これを、われわれは究極の自由と呼んできたのだ。

西洋ではこれがなかなか理解できない。というのも、あなた方が自由と言えば、自由意志のことが頭にある。が、東洋で自由のことを言うときには、それはあらゆる自由意志から自由になることだからだ。自由とはあなたから自由になることなのだ。西洋では、それは、あらゆる障害から、限界から自由になることを意味する。けれども、あなたは残る。それはあなたの自由でしかないのだ。

東洋では、自由というと、その中にはあなたは残らない。あなたというのはその束縛の一部であり、一画なのだ。あなたはその束縛と一緒になくなる。自由が残る。あなたじゃない。それがモクシャ(解脱)だ。それは、あなたが自由になるということではない。反対に、あなたは自分自身から自由になるのだ。そこに“自己”はない。

“自己”などただただ消え失せてしまう。それは虚構の概念にすぎなかった。一種の思いつきだ。役には立つ。が、真実ではない。
≪参考文献≫
『神道の神秘古神道の思想と行法』
『解脱の真理ヒマラヤ大師の教え』
『キリストのヨーガ解脱の真理 完結編』
『TAO 永遠の大河〈3〉』
参考の4冊は全て東洋的なものです。『キリストのヨーガ』というのもキリスト教の“キリスト”ではなく「キリスト=悟りを得た者」という意味ですから本のタイトルを勘違いしないようにして下さい。

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2008.02.09 Saturday | Category[2]スピリチュアル:シルバーバーチ | comments(0)

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