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クリシュナムルティ「一体化」
クリシュナムルティという人をご存知だろうか。このブログを訪れてくれている皆さんには馴染みは薄いかもしれない。けれど、この人間の語るものごとは、この世の中に存在しているものを明確に的確にあらわしている。

スピリチュアリティに感心を寄せる人たちだけでなく、いろいろな人に読んでもらいたい書の一つだといえる。たしかに「白い否定の炎」だ。
一体化

Krishnamurti,-Jiddu あなたはなぜ自分自身を、誰か他人や、あるいは集団、国と一体化させるのか? なぜ自分自身のことをクリスチャン、ヒンドゥー、仏教徒などと呼ぶのか? あるいはまた、なぜ無数にある党派の一つに所属するのか? 人は、伝統や習慣、衝動や偏見、模倣や怠惰を通じて、宗教的、政治的にあれこれの集団と自分自身とを一体化させる。この一体化は、一切の創造的理解を終焉させ、そうなれば人は、政党の首領や司祭、あるいは支持する指導者の意のままになる、単なる道具にすぎなくなってしまうのだ。
先を読む根気のない方のために要点をピックアップしてみた。とても深い真理に背筋が正される思いだ。
愛は繊細で傷つきやすく、柔軟で、受身的なものである。それは最高度の鋭敏さであるが、一体化は逆に鈍感さを助長する。一体化と愛とは、相容れないものである。
刻々に体験するためには、一切の一体化が終わらねばならない。試行するためには、恐怖があってはならない。恐怖は体験を妨げる。一体化(他者との、集団との、イデオロギー等々との)を助長するのは恐怖である。
自分自身を一体化させてしまった者は、決して自由(その中においてのみ、すべての真理が姿を現わすのである)の何たるかを悟ることができない。

 先日、ある人物が、誰某(だれそれ)はこれこれの集団に属しているが、自分は「クリシュナムルティ信奉者」だと言った。そう言っていたとき、彼はその一体化の意味合いに全く気づいていなかった。彼は決して愚鈍な人間ではなく、読書家で教養もあるといった人物であった。いわんや〔まして〕彼は、そのことに決して感傷的になっていたわけでも、また情緒に流されていたのでもない。それどころか、彼は明晰ではっきりとしていた。

 彼はなぜ「クリシュナムルティ信奉者」になったのか? 彼は他の人間たちに従ったり、あるいは数多くの退屈な集団や組織に所属してきたのだが、そのあげくに、ついにこの特定の人物に自分自身を一体化させたのである。彼の語ったところからみて、彼の旅は終わったもののようであった。彼は足場を築き、そして行き着くところまできたのである。彼は心地よく腰をすえて、これまで語られてきたこと、そしてこれから語られるであろうことのすべてに、熱心に従っていくことだろう。

 われわれが他者と一体化する場合、それははたして愛の徴(しるし)だろうか? 一体化は試行を意味するだろうか? 一体化は、愛と試行に終止符を打つのではないだろうか? 一体化は、疑いもなく所有であり、所有権を主張することである。そして所有は、愛を否定するのではないだろうか? 所有することは安心することであり、所有は防衛であって、繊細な感受性を損なうものである。一体化のうちには、粗雑、精妙の別を問わず、抵抗がある。しかるに〔ところで〕、愛は一種の自己防衛的抵抗だろうか? 防衛のあるところに愛があるだろうか?

 愛は繊細で傷つきやすく、柔軟で、受身的なものである。それは最高度の鋭敏さであるが、一体化は逆に鈍感さを助長する。一体化と愛とは、相容れないものである。なぜなら、その一方は他方の芽を摘み取るものであるからだ。一体化は、本質的に精神の自己防衛または拡張のための思考過程であり、そして何かになるためには、精神は、抵抗し、防衛し、所有し、または見捨てていかなければならない。この、何かになろうとする過程で、精神または自己(セルフ)はより強固で有能になっていく。しかし、これは愛ではない。一体化は自由を損なう。しかし自由においてのみ、最高の形の鋭敏さがありうるのである。

 試行するためには、一体化の必要があるだろうか? 一体化という行為こそはまさに、探究、発見を終焉させてしまうのではないだろうか? 自己発見の試みがないかぎり、真理によってもたらされる幸福はありえない。一体化は発見に終止符を打つ――それは別の形をした怠惰なのだ。一体化は代行経験であり、それゆえ全くの虚偽である。

 刻々に体験するためには、一切の一体化が終わらねばならない。試行するためには、恐怖があってはならない。恐怖は体験を妨げる。一体化――他者との、集団との、イデオロギー等々との――を助長するのは恐怖である。恐怖は、その性質上、抵抗や抑圧を招く。しかるに、自己防衛の構えをしていて、どうして海図なき大洋にあえて船出できるだろうか? 自己の諸相への貫入の旅に出ないかぎり、真理または幸福は決してやってこない。錨を降ろしていては、遠方まで旅することはできないのである。一体化は、それ自らの上に破壊を招き、かくしてさまざまな一体化の間で、果てしない葛藤が続くのである。

 われわれが、一体化めざしてあるいはそれに逆らってあがけばあがくほど、それだけ理解への抵抗が増していく。もしも人が、自らの外部的、内部的な一体化の全過程に気づき、その外部的表現が内なる要求の投影であることが分かれば、そのときには、発見と、そして幸福の可能性が開けてくる。自分自身を一体化させてしまった者は、決して自由――その中においてのみ、すべての真理が姿を現わすのである――の何たるかを悟ることができない。

『生と覚醒のコメンタリー 1』より - P8
生と覚醒のコメンタリー 1 孤高の哲人の主要作

ただひとりある者だけが、原因を持たないもの、不可測のものと交わりうる。
ただひとりある者にとって、死はない。ただひとりある者には、終わりはありえない。
生と覚醒のコメンタリー 1
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2007.11.10 Saturday | Category[4]霊的偉人:クリシュナムルティ | comments(2)

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クリシュナムルティ「一体化」、興味深いですね。Wikiでも見てみまして、さらに探求してみたい気持ちになりました。素敵な本のご紹介、ありがとうございます。
| うちこさん | 2007/11/10 12:49 PM |
こちらこそ、ありがとうございます。
うちこさんのブログでの『バガヴァット・ギーター』の解説がわかりやすく説明されていて、とても親切な内容だと思いました。
| テルテルさん | 2007/11/11 3:24 PM |










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