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スピリチュアル本は数限りなくあります。素晴らしい本を全て紹介し切れませんが一部をこちらで紹介します。こだわりは「百害あって一利なし」。読書が嫌いな方は以下のものを読んでもらえればスピは十分だと思います。

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スピリチュアルな想いを形に
2024.01.15 Monday | Category- | -

〈愚か者〉と歩むスピリチュアルな道
 わしは〈愚か者〉じゃ。わかっておろうの?

 そして、わしは人間の中にある魔性を視ておる。〈魔〉が大きく成長しようとしておる人間を感覚で掴むのだ。じゃが、わしのなかにも〈魔〉は潜んでおる。毎晩その〈魔〉を見つめるのじゃ。その時間は楽しいものじゃ、「わしにもこんな〈魔〉が住みついておったか」とな。

 霊的世界、現実世界のものでも、体制破壊を目論む輩たちの心の内には、この〈魔〉が潜んでおる。よく観察するのじゃ。その者の内に潜む〈魔〉についてじゃ。

 大切なことじゃからな、〈魔〉のことを話すことにしようかの。

 わしは愚か者じゃからな、皆はわしを罵(ののし) るじゃろう。なに、そんなものは慣れておる。わしの仕事なので構わないのじゃ。だがな、わしは「愚か者」であることを愉快だと思うぞ。わしが〈愚かさ〉を愉快だと思い、愚かだと思わないのは、なぜか分かるか?

 愚かさが人間だからじゃ

 心の整理をする愚か者は、まずそのことに気づくことじゃ。 偉ぶっている者、知識を鼻にかける者、慢心している輩たちは、愚かさを、まったく知らないか見て見ぬふりをする。自分が賢く知性的だと皆に思われたいのだな。明らかにできない恐れがあるのだ。そうさな、心の牢獄に閉じ込められておるんじゃ。

 わしも随分と愚かなものよ。わしが愚かな話を語るのはなぜだかわかるかの。「わしが愚か者だ」、と皆に伝えるためだ。わしが〈ヘヨカ〉だとみなが知らねば、わしの仕事は上手くはゆかん。 知らなかった者は、心して聞いておくのじゃ。

「わしは〈愚か者〉だ」
「ヘヨカだ!」


 じゃから、わしのことを〈愚か者〉だと理解しておくのじゃ。わしを尊敬するようなモノ好きはいないと思うがな。尊敬なぞしたら、お前さんもヘヨカになっちまう。それはいかんぞ。

 わしはヘヨカじゃから真面目腐った輩がわしを馬鹿にしくさる。「お前はアホだ」「知識がない」とくるものだ。わしは、愚か者だと知っておるからの…これには困る。「そうじゃ、愚かなのじゃがの」としか言えん(笑)。 しかし、なぜ、そやつらは、わしを馬鹿にするのか、お前さんたちは考えてみたことがあるか? わしは富も権力も知識も持ち合わせておらん。権威もないから馬鹿にしやすい。これは、いい的だというわけじゃ。わしを馬鹿にすれば、自分が賢いと納得がゆくのじゃ、自分のなかで納得したいんだな。じゃが、そんなことをして、どうなる。言っとくが、わしは願いを何でも叶えてくれる神様に会ったら、「愚かなままで構わん!」「賢くなどしてくれるな!」と言ってやるつもりじゃ。愚かでなければ、意味がないのじゃ。

 人間てやつは、とても自分勝手な奴なんじゃ。自分とそりが合わないやつを嫌い、自分の意見に逆らうやつを殺すんじゃ。それを昔からしてきておる。今じゃ、殺す代わりに馬鹿にし罵り、蔑(さげす)んでみたり、悪口を言ったりと汚らしい部分がある。

 人を自分の納得する形で「敵」「悪者」「低級者」に仕立て上げるんじゃな。それが一番快感で気持ち良い方法だからじゃろうて。大人でも子供でも、スピリットの世界を信じる輩のなかにも、そういった者もおる。どんな人間とて変わりはないんじゃな。

 わしを指差し「あの愚か者は自分を正しいと思っている」と、わしのことを馬鹿にする時、やっこさんの心にあるのは何かわかるだろう? それはな「自分が正しい」と思う慢心じゃ。ちいと考えれば分かることじゃが、まだ心の整理がついていない輩にはわからんじゃろうが、〈世界を逆さに見る愚か者〉になるには、ここも大切なことじゃ。相手に向ける気持ちを、まず自分にも向けるんじゃ。そうしてから語るようにするんじゃ。わしの仲間のアテシュリスも言うておったな、「悪を見ても、悪を聞いても口にするでない」となぁ。

 慢心のない聖なる者は、わしのことを見て「あの愚か者は、面白いことをいう奴よ」と可笑しがるものだ。「俺も愚かだが、やつも負けず劣らず愚かだ。これほど楽しいものはない」と手と手を取り合って笑うのじゃ。それがわしらのやり方だ。「お前の愚かな話は、ここが一番愚か過ぎるぞ!」 と話し合うんじゃ。お互いが愚かだと自覚しておるから喧嘩にはならんのじゃ。良き友となるじゃろう。

 知識のある賢い者は愚か者を無碍に扱う。こりゃいかん。愚か者を無碍(むげ) にすれば、やっこさんが愚かだと言っているようなものだ。じゃから、アメリカ・インディアンたちは長老もヘヨカを無碍には扱わぬ。ヘヨカにとって長老も自分も変わらんのだ。長老もヘヨカを一人の人間として認める。人として同等だという知恵じゃな。知識を持ったときに気をつけねばならんことは、このことじゃ。

 わしの仲間のルーミーは、賢い神学者「なんとまあ、知識を運ぶ哀れなロバよ」と言ったものだ。じゃがな、ルーミーは、知識を馬鹿にはしておらんのじゃ。これも可笑しいものだ。これが愚かな聖なる詩 なのじゃ。

 そうそう、スピリットの世界に向かった葉室翁も自分が愚かだと気づいていた者だったな。神に詫びておったのを覚えておろう。

 わしの尊敬する仲間たち、ヘヨカたちは、西にも東にもいるものじゃ。そうさな、ユング翁も愚か者の代表みたいなものじゃ。愚か過ぎて笑ってしまい愉快になってくる。あの爺さんはヘソマガリで楽しいやつじゃ。わしは、世界の愚か者たちが大好きなんじゃ。真面目腐った輩ほど、ツマランものはないの。真面目腐った顔に鼻クソをくっ付けてやりたいものじゃよ。
僕のなかの〈わし〉の言葉を書いてみました。一種の『神との対話』みたいなものです。この〈わし〉が、いつも僕の心のなかに潜んでいます。〈わし〉が何者なのかはわかりませんが… (;゜д゜)
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スピリチュアルな想いを形に
2009.02.07 Saturday | Category[1]愚か者とは:愚か者の言葉 | comments(13)

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